「梨かじる図鑑三冊開きをり」の批評
回答者 なお
素因数分解さん、こんにちは。
御句拝読しました。
俳句だけ読みますと、図鑑を三冊広げて梨をかじっている光景が浮かびますね。それがどなたかは別として、というより、俳句では特に言及されてなければ作者自身ですが、悪くないと思います。秋の一日、何を調べているのかはわかりませんが、いい光景ですよね。
ところがご自身のコメントを拝読しますと、ちょっと話が違ってきます。図鑑を三冊読み終わったあと?ご自身でも「一冊読むのに時間がかかる」とおっしゃっていますよね。だいぶ長時間のことをお詠みですか?
このコメントですと、いま現在、机の上に三冊開いているのではなくて、時間をかけて三冊順番に読んだということですか?
それですと、
・梨かじる図鑑三冊読み終へて
というようなものであれば、かなりコメントに近くなるのではないでしょうか?
次に、素因数分解さんのコメントについて少しお伝えします。
俳句は五七五だけで伝えたいことを伝えるものですから、本来はコメント(自句自解)が付属するものではありません。
しかしこの道場は有名な先生のご指導を受ける場ではなく、俳句を趣味として上達を目指す、わかりやすく言えば初心者どうしで意見や感想を伝え合うサイトです。
ですからどうしても作者自身によるコメントがあったほうがメンバーもコメントしやすくなります。
素因数分解さんの今回のコメントですが、「あまり自句について語るのは好きじゃない」、これは構わないと思います。他にもそのような方はいらっしゃいます。
しかし次のコメントを見ると、「どうも俳句の読み方をよく分かっていないと思しき方が散見される」との表記、これは失礼ですね。気をつけたほうがよろしいかと思います。
ご自身のことをおっしゃっているのかもしれませんが、これを読んだメンバーは、ほとんど全員、「私のことか?」と思うと思います。なぜならここは、まだまだ勉強中の人たちの集まりだからです。
しかしこのように言われて、気分の良い人がいるでしょうか?
できましたら、そういうことも配慮のうえでお続けいただければと思います。
御句の、「をり」の使い方の違和感や、取り合わせについてのご理解不足については、すでに他の方々がおっしゃってくださっていますので、私は繰り返しません。
コメントの中の、「俳句初心者の方は、ひとまずこの取り合わせの型を習得することをオススメします」というのは、私もそれを勉強始めたところですので、一緒にやりましょう、という意味ですよね?
最後に結んでいらっしゃるように、「まだまだ修行中」なのですね、わかります。
一緒に勉強していきましょう!よろしくお願いします。
最後に、私が取り合わせの句のお手本として大事にしている句をご紹介します。
「カタカナ語苦手な父や茄子の花」
これは私が尊敬する達人の句です。
点数: 4
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あまり自句について語るのは好きじゃないのですが、コメントを見ると、どうも俳句の読み方をよく分かっていないと思しき方が散見されるので、一通り解説することにします。
この句、ポイントは末尾の「をり」です。「開きをり」とすることで、開いてから少し時間が経ったことを意味します。図鑑は一冊読むだけでも時間がかかります。それが三冊。イメージとしては、子どもが図鑑を読みふけった後、喉が渇いて梨にかじりついたという状況です。長時間図鑑を読んだ後だからこそ、梨の瑞々しさがより一層感じられます。
俳句をある程度経験した方はお分かりかと思いますが、この句は「季語を含む五音」+「その他の措辞十二音」、いわゆる”取り合わせ”の型を使っています。
俳句初心者の方は、ひとまずこの取り合わせの型を習得することをオススメします。コツとしては、例えば「自然の物」と「人口の物」というふうに、別ジャンルの物を組み合わせるとやり易いです。この句の場合、「梨(自然の物)」と「図鑑(人口の物)」という組み合わせとなっています。
長々と講釈を垂れてしまいましたが、私もまだまだ俳句修行中の身です。皆様と学び合っていければと思いますので、どうぞよろしくお願いします。