「名月や柏手をつひ打ちにけり」の批評
不尽さん、こんにちは。
ご返信有難うございました。
実は私は今日はいつもと違う仕事をしていて、休憩時間が極端に少ない中で返信していたため、説明不足の部分が多々あったかと思います。申し訳ないです。
もう帰宅しましたので、あらためてご回答させていただきます。
まず、「つい」ですが、ダメなどとは言っていませんよ。私のコメントをよくお読みいただいていますか?
「◯◯という意味に取られることもありますが、それでもいいですか?それならいいですよ」とお伝えしています。
例をあげます。
「名月につい好きだよと云ひにけり」
こういう句があったとします。作者は、月の光に誘われて思わず好きと言ってしまった、ということですが、この「つい」を、①「しまった、つい心にもないことを!やばい!」という解釈と、②「月の光の力を借りて、ようやく愛の告白ができた!やったぜ!」と読む解釈とあると思います。この辺はヒッチ俳句
さんもふた通りと意味があるとおっしゃっていますが、私も、この①のようにも②のようにも取れますよ、とお伝えしているわけです。作者の意図は?
次に、「柏手を打つ」の「打つ」の省略についてですが、普通の文章なら入れて全然構わないと思います。ただ、なにせ俳句は十七音。省けるものは省いて他の要素を入れて読み手の想像を豊かにしてあげることも大切かと。
柏手は、「打つ」を省略しても意味は通じますよ。即吟ですが、
「名月や柏手合わぬ老夫婦」
誰が読んでも、打つタイミングが合わないと思ってくださると思います。
また、「手を叩く」と言えば、一般的に拍手になるように思う、とのこと、それは確かにそうかもしれませんね。しかしそこは季語
の力を信じる、ということがあります。単に手を叩くのではなく、名月を愛でて手を叩くのですよね。昔から名月の時にお団子などを供えるのは、神のごとく崇拝する対象だったからです。不尽さんが思わず柏手を打ったのと同じように、読み手は、やったやった〜月が出たぜー!などと手を叩くのではなく、美しい月に神々しさを感じて、つい、思わず柏手を打ってしまったという意味だと読んでくださいますよ。
次に、「野球で、「ヒットを打った(放った)」といった場合、ヒットには、既に打った、という意味が含まれているので、打った、は、無用ということになります。
それが俳句と言うものであると仰せであるなら、これを突き詰めて行けば、なかなか読者には伝わりにくくなっていくことが懸念されるのですが…。」
とおっしゃっていますよね。これも即吟で恐縮ですが例をあげてご説明します。
不尽さんのおっしゃるのは、例えば、
・秋の宵大谷ヒットを打ちにけり
でないと読者に伝わりにくい、ということのように読めます。
しかし例えば、次のようなのはいかがでしょう。
・秋の宵大谷ヒット二者返す
・秋の宵大谷ヒット沸く地元
いずれも即吟ですが、打つとか放つとか言わなくても、大谷のヒットで「二点入った」、「地元のファンは大喜び」、という付加価値情報が入って、ヒットの効果がアピールされたと思いませんか?
また、私は、「事実でないことを詠みなさい」とも言っていませんし、「手を叩くでなくて合わせるにしなさい」とかも言っていません。
ただ、俳句は文芸であって報道ではないので、内容に矛盾がなければ、創作はありですよ。わかりやすく言いますと、人に迷惑をかけない自分だけの嘘、作り話です。
例えば、公園に子どもが三人いた、それを俳句にする時に、四人にして効果的ならそれはありでしょう。
ただ、「十七文字にせんが為に、事実、実体、実態でないことを詠むことには、賛同致しかねます。」
という不尽さんの行きかたは、間違ってはいませんよ。それを否定するわけではありません。
ですが、ここは俳句添削
道場です。皆さん、「それはわかるが、ここはこうしたほうが伝わるのでは?」とか、「確かに◯◯だったかもしれないが、その表現だと誤解を招くので、このようにしたら?」とアドバイスしてくださいます。私もそのようにしていただき、勉強してきました。
不尽さんも、皆さんからたくさんアドバイスをいただいているので、それを向上のためにご利用なさってはいかがでしょうか。
長くなりましたがご理解よろしくお願いします。
添削のお礼として、なおさんの俳句の感想を書いてください >>
先の名月の句に間違いがありましたので、再度投句致します。「ふい」としておりますが、ここは「つひ」の間違いでした。
なお、「名月や」に改作しておりますのは、間違いではなく、ある方のご指摘を受けてのことであります。
宜しくお願い致します。