「ポケットはことばの岸辺神渡し」の批評
回答者 イサク
おはようございます。
詩の言葉を意識して入れているのはわかります。
意識しすぎて、ことばが漠然としすぎてしまい、結果、ふわふわしすぎて意味がわかりにくい句になってしまったと思います。
どんな映像を浮かべたらいいのか?
特に「ことばの岸辺」が比喩ですが、その比喩を受け取る先がないのではないかと。
◆まず初手。作者の意図から、助詞一字の変更を提案します。
「ポケットそのものがことばの岸辺」なのではなく、「ポケットの中にことばの岸辺が入っている(入れた)」とすれば、少しは想像の余地が増えるのでは。
・ポケットにことばの岸辺神渡
◆本命のアイデアとしては、句の中に「スマホ」を入れてしまう案(たとえば鈴蘭様の案)に大賛成です。一気に年代や人物の年齢・服装などが想像しやすくなると思います。
「ことばの岸辺」が「スマホ」にかかれば、一気にエモい比喩っぽくなります。
◆次点アイデアとして、人物像を出して映像を補助するというのは考えられます。
この場合、「ことば」は削れないので、「岸辺」を削らざるを得ないかなあ・・
ひとまず「しまう」という動作を入れた提案句。
・ポケットにしまう言葉や神渡
スマホとわからず「手帳かも?」「日記かも?」「小説かも?」でも問題はないと思います。
詩の言葉を追求するのは大切だと思います。バランスですよね・・
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今日、私の住んでいる地域は西風が吹いて、まさに「神渡し」でした。そんな中、高校生が一心不乱に携帯電話を打ち、ポケットに仕舞う様を見て作りました。「岸辺」はわかりにくいとは思いますが、簡単に「携帯」と言いたくなかったのです。