「ドンと咲く花火が隠す好きの声」の批評
こんにちは。貴句、拝読しました。
擬人化は絶対ダメとは申しませんが、俳句
の数ある技法の中でも、擬人化は特に難しい類です。
今回の貴句の場合は擬人化する必要性が薄い(普通に書いても何の支障も無い)ので、あらちゃんさん、おかえさきさん、めいさんの案に私は賛成です。
次に、拙句「炎天のリュックの氷走る子等炎天のリュックの氷走る子等」へのコメント、お忙しいところありがとうございました。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/26713
せっかくご提案いただいた「水筒の水がタプタプ走る子等」についてですが、気に入る・入らない以前に「あれ? 季語
どこ行った? 炎天も氷水も無い」と私は思いました。
コメントから「もしかして水筒? でも水筒って季語ではない筈。冬に温かいお茶淹れて持っていくよね」と思い、手持ちの季寄せ『新版 角川季寄せ』(2024年1月24日 初版発行)で調べましたが、水筒は季語として載せられていませんでした。
また、「氷」は仰る通り晩冬の季語なのですが、屋根や軒下に氷柱として垂直に張ったり、氷そのままでしたら水面(池、流れが緩やかで小さな水路など)や地面(水溜まり、橋、高架橋の上など)に平たく張りますよね。もしくは冬の屋外スケートリンク場でしょうか。
ですが「リュックの氷」とありますので、「リュックの中に自然の氷なんて張るの? 人間が水を凍らせて作った小さな氷がリュックに入ってるんじゃないの? けど、そのまま作った氷を入れたらリュックの中が濡れちゃうし、氷も融けちゃうよね」という事になります。
という事は、「頭に季語「炎天」があるので、リュックの中に何等かの容器が入っているんだろう。そして、氷はその中に入っている。即ち、ここでの氷は「氷水」と解釈するのが妥当ではないか。氷水なら容器は水筒が適している。また、そんなに暑くない季節なら水筒に氷なんて入れないし、寒い季節なら、そもそも水筒の中身は温かいお茶、ホットティー、ホットココア、ホットコーヒーになるよね」という事なのです。
季語の表面だけをなぞるとおかしく見えますが、その季語に省ける動詞(氷なら「張る」、花なら「咲く」、汗なら「かく」、法師蝉なら「鳴く」は不要。張らない氷、咲かない花、かかない汗、鳴かない法師蝉があるなら持ってこいと言われます)や本質まで考えますと、「ここでは「氷水」と書かなくても「リュックの氷」で、「リュックの中にある水筒の中身の氷だ」読者が読み解く事は十分に可能である」と、流石にどちらかの季語は必要ではないかと(この場合は炎天が主なので、そちらを残す)、私は判断いたしました。
以上です。
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好きですと告白しても花火の音に消されてしまいました。