「車窓より眺む通学路の柳」の批評
なおじい様、こんにちは。
前句の解説ありがとうございます。なるほど、①速さ、②時間、③時期、と掛けていたのですね!
いいセンまでいったんだけどなー。「ゆっくり」ではなく「遅い」という表現を選んだ理由を考えれば辿り着けていましたね。ちょっと悔しい(笑)。
あと単純に、正解は一つとして取捨択一と考えてしまいました…うーん、まだまだでした。
いずれにしても、温かい気持ちになる句でした。ありがとうございます。
さて、御句拝読しました。
「話しかけるように ゆれる柳の下を 通った道さえ今はもう 電車から見るだけ」ですね♪名曲です。
一旦『卒業写真』は忘れて、句だけで鑑賞してみます。
「車窓」は電車か車かわかりませんが、いずれにしても少し離れた所から見ている景ですね。
俳句は見ているものを詠むわけですから「眺む」は省略できそうな気もしましたが、古語辞典では「眺む=(物思いにふけりながら)ぼんやりと見やる」とありました。
つまり「眺む」と入れることで、「何かを想いながら見ている」というニュアンスが加わり、作者が在学生ではなく、すでに卒業した人物であるという連想ができそうですね。
「眺む」は何となく止まって見ているイメージなので、私は電車より(停車中の)車を想像しました。
「たまたま母校の近くに来たので、少し車を止めて眺めていた。あの頃と同じように、通学路に柳が揺れている」といったイメージで鑑賞させて頂きました。
ノスタルジーと言うとありきたりですが、季語を通して時間を超えていく感覚を味わえました。佳い句だと思います。
添削、いるかなぁ。「通学路の車窓」にすると、親の車で登校する子どもの視点に見えてしまう気が。
・今もなほ揺るる柳や通学路
・車窓開く通った道の柳かな
とか考えましたが、私は原句でいいと思いました☆
P.S.
文法のことで、御句の場合、「眺む(終止形)」と「眺むる(連体形)」、どっちが適切なんですかね…終止形でいいのかな。勉強不足でちょっとわかりませんでした。
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
こんにちは。前句「母の日や少し遅めの車椅子」にはたくさんのコメントおよびご提案句を有難うございました!
この句は、実は三つの意味を含めたつもりなのです。
①母の日なので、いつもよりゆっくりと押しながら、おしゃべりしたり花を見たり鳥の声を聞いたりしながら歩こう。
これだと、「ゆっくりと押す」とかでもいいですね。
②いつもは仕事があるから早くに散歩に連れ出すのだ。だけど今日は日曜日、しかも母の日だから、慌てずにちょっと遅めに出発するか。そうだ、今日は外でごはん食べてもいいな。
なんていうのが二つ目。
③こんなことなら、もっと早くに車椅子を用意してあげればよかった。自分で歩かなくなるかと思って、わざと用意しなかったのだけど、ちょっと遅かったね、ごめんね…。
という感じです。墓に布団はかけられず、ということわざから思い浮かんだ句です。③は伝わらないかなぁと思っていたのですが、鑑賞してくださった方がいました!有難うございます。
さて本句はお題で。ユーミンの「卒業写真」をテーマにしていますが、いかがでしょう?後半は「柳の通学路」のほうがいいですかね?同じかな?
ご意見よろしくお願いします!