「車窓より眺む通学路の柳」の批評
添削した俳句: 車窓より眺む通学路の柳
母の日の句の自句自解を
もっともらしく3点にわたり
書いてますが、
仮に作句の時点で作者にそのような意図があったならば
この句の「感動」の主体は
どこにあったのですか?
散漫と言わざるをえません。
感動の主体はひとつのはず。
読手が想像を膨らませて、
3通りの解釈をしたと言うので
あれば話は分かるのですが。
この自句自解は、格好良く後から取って付けた感が否めませんね。
だから句自体に感動が薄いのです。
点数: 0