「のど飴のなくなるまでを天の川」の批評
回答者 ケント
こんばんは。
私の未熟な文法知識で申し訳ありませんでした。
よく整理できました。
最初に、指摘いただいたこま爺さんに感謝です。
ありがとうございました。
点数: 0
添削のお礼として、ケントさんの俳句の感想を書いてください >>
作者 卓鐘 投稿日
回答者 ケント
こんばんは。
私の未熟な文法知識で申し訳ありませんでした。
よく整理できました。
最初に、指摘いただいたこま爺さんに感謝です。
ありがとうございました。
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回答者 イサク
こんばんは。
面白そうなので参加します。
・のど飴のなくなるまでを天の川
→簡単に考えるなら『のど飴のなくなるまで(の時間)を、天の川を見ている』と捉えてよいですよね?時間経過と言われていますが、私はのど飴を舐めている瞬間の句だと思っています。まだ飴はなくなってないです。
・のど飴のなくなるまでは天の川
→作者もしくは作中主体の意思を強く表面化する形になりました。「飴がなくなるまでは天の川を見ているぞ」というイメージ。
・のど飴のなくなるまでの天の川
→のど飴がなくなると同時に、何か別の理由で天の川が見られなくなったというニュアンスで受け取りました。単に自分から室内に戻ったかもしれませんし、親から室内に連れ戻されたとか、急に曇ったとかも想像できます。
・のど飴のなくなるまでに天の川
→直前の「まで」が時間を表す助詞なので「に」も時間を表す「に」。「に」は副詞的に変化を表す動詞などにつながるので、動詞の省略があるように感じます。げばげば様と同じく「飴がなくなるまでに見ないと、見られなくなる」というような意味にとりましたが、ちょっと無理やりかなあ?
・のど飴のなくなるまでや天の川
→俳句としてなら、意外と入らないことはないかと・・
・のど飴のなくなるまでが天の川
→「家に帰るまでが遠足」みたいな構文です。意味はよくわかりませんが、これだったらこま爺様のいう「観念的」な天の川かも。
・のど飴のなくなるまでも天の川
→「○○するまでもない」という言い回しの「ない」が省略されたような形になりましたが、自分で入れておいてなんですが意味がわかりません。
という感じで。
点数: 3
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回答者 げばげば
こんにちは。
いつも的確なコメントありがとうございます💫
御句。見ていた時間をあらわす上五中七、わたしもよくやります。
なくなる、たくさんあったのがなくなるのか、口溶けてなくなるのか。後者では読んだのですがあってますか。
のど飴の溶け去るまでを天の川
点数: 2
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回答者 ケント
お早うございます。
いつもアドバイスありがとうございます。
またひとつお教えて頂けますか。私は俳句は「一瞬の切り取り」が大事と教わりました。
げばげばさんも「見ていた時間を表す」「私もよくやります」とおっしゃっております。
飴が口の中で溶けるには、それなりの時間が必要だと思いますが。俳句において、この様な技法は、よく使われるのでしょうか?
もしご存じでしたらご教示下さい。よろしくお願いいたします。コロナは、もうよくなられましたか?
点数: 1
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回答者 打浪泳人
卓鐘さん、拙句<藤の花風のまにまに靡きけり>を評していただき、ありがとうございました。あなたの指摘された季語が動く問題、わたしも意識していまして、マイ句帳に書き留めたなかの疑問符の句とした句をアップして読者の添削をあおいでみた次第です💦
御句<のど飴のなくなるまでを天の川>、「とき」の描写を「もの」に託した表現になっているので、いい具合に説明臭が薄くなっていて良いと思います。「ば」は描写を省略しても季語に「ば」の匂いが色濃いので、読者の想像で補うことができました。わたしは俳句の推敲ポイントに「もの・ば・ときのバランス」という点も重視しています。参考図書『俳句で日本を読む』李御寧(イ・オリョン)著 1983年 PHP 21世紀図書館0013 (新書サイズ)
点数: 1
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回答者 ケント
こんにちは。
「時間経過」の件、ご教示ありがとうございました。私も、もっと読んで、もっと詠んで勉強したいと思います。また、お教え願います。
点数: 1
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回答者 こま爺
こんにちは。
さっそくですが、中七を『に』で結ぶのはどうでしょうか。のど飴をなめている間は幸せ、天の川もきれいに見える!
”のど飴のなくなるまでに天の川”
原句のままだと、観念論の印象が強く、押し付けがましいなと思ってしまいます。
点数: 1
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回答者 こま爺
再訪です。
『を』がなぜ観念論かと言いますと、のど飴飴がなくなるまでを天の川と考えると、ご自身の考え方を主張しているように受け止められるからです。
点数: 1
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回答者 げばげば
再訪です。
助詞見習いのそのまた弟子のげばです。
この「を」は時間空間のイメージだったので、
のど飴のなくなるまで(の時間空間)を天の川が美しく見惚れたことよ。コロナや陰鬱などいがいがする心がすっとする時間空間として受け取りました。
「に」は、「までに」天の川を見ないと、舐め終わったら見れなくなるような印象をうけました。その強調が「は」でした。「までは」。
「の」という選択肢もあるかと思いますが、天の川を上五中七が説明していく修飾のイメージがあり、天の川の広がりは「を」の方が広いように感じました。
どういう景を見せたいかで選択するのでしょうが、私の読み的には「を」→「の」→「に」→「は」でした。私の助詞見習い弟子的考察はどんなもんでしょうか?
点数: 1
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回答者 めでかや
卓鐘さん、こんにちは。
ご心配頂きありがとうございます。
本日3日めになりますがお陰様で重症化はしないようです。
ただ咳と喉の痛みが酷い。
と言うことで御句。のど飴、ピッタリきましたね。それから『を』の選択。私は卓鐘さんの想いを伝えるのにはBestの選択と思いました。
時間の経過を意図して表していると思いますが合わせた天の川に比べたら一瞬!。最後はバッチリ天の川の景が残りました。
最後に作句が捗らない件、卓鐘さんのレベルがあがったからではないでしょうか?。自分のなかで悪しき句が分かる。だから良いと思う句ができない。自身の中での判定基準が上がったんですよ、きっと。
私自身も同じ様な時期を迎えている様に思います(*^^*)。
では、今後とも宜しくお願い致します。
点数: 1
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回答者 ケント
こんにちは。
貴句を通して、皆様の「助詞」の考察、大変勉強になりました。「助詞」ひとつで、こんなにも句の意味や幅が拡がるのかと、改めて「一音」の重みを感じた次第です。
ありがとうございました。
点数: 1
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
お題では。最近作句が捗りません。