「初東風に舞う灯台の風見鶏」の批評
こんにちは。
はじめまして、げばげばと申します。
御句の感想です。
〇上五については、
「に」だと散文感が強まります。風見鶏が主役になり、「初東風が吹いたことで風見鶏が舞っていますよ」という風に、季語が舞台装置のみになっている印象も受けます。
季語をたてるためにも、「や」で切りたいところです。
〇次に「舞う」という動詞についてですが、俳句の中では、モノや季語の様子としてイの一番にみなさんが浮かべやすい単語として「舞う」「揺る」「響く」「飾る」「臨む」「光る」などが挙げられます。このあたりの動詞は避けたくなるところです。
実は
「初東風や灯台わきの風見鶏」(わきか上かはわかりません)
とかでも、十分舞っていることが分かるので、「舞う」という動詞も省くことができます。
〇このままでもOKなのですが、ここまで来たら、最後は季語とモノの距離感のことを考えます。
「初東風」は風の季語で、取り合わせたモノが「風見鶏」と風に関するモノなので、季語との距離感が少し近いということもあります。できれば取り合わせをするときは、季語と関係がないものと取り合わせて、その響きを感じる句にしたいという狙いがあるからです。
今のままでは、「や」で切っても、「初東風が吹いた(から)風見鶏が回る」という因果関係も見えて、ちょっと説明的になってしまいます。少しずらすだけでもいいと思います。
たとえば同じ天文季語なら
初空や灯台わきの風見鶏
とすれば、新年早々の美しい空に向かって、風見鶏が飛ぼうとしているような海の光景を見せられますし、
地理季語なら
初富士や灯台わきの風見鶏
とすれば、海から見える富士まで臨む、おめでたいおめでたい句になります。
生活季語でいくなら
初旅や灯台わきの風見鶏
などであれば、新年のあらたな心持の海の旅なのだろうかとも思えます。うーんこの提案はいまいちかあ、風見鶏が新年の心持にしては「日和見」的にとられそう。
羽ごの子や灯台わきの風見鶏
羽子の向こうに海と空が見える景色。
いろいろつれづれに書きましたが、またぜひぜひこちらにも俳句を投句してみてください!!
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【句意】
灯台に立っている風見鶏が初東風を受けて回っている様を見て、風見鶏も春の訪れを喜んで待っているのだなぁ、と感じた。
【添削にあたり】
上五を「初東風に」とするか「初東風や」にするかで悩みました。それぞれの印象の違いも解説頂けるとありがたいです。