「春の土草刈る人の背の丸く」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
俳句は「多作多捨」(多く作って多く捨てる)が良い、とよく言われます。
なぜ「多作」だけでなく「多捨」が含まれるのか。
多く作って、捨てる句と捨てない句(人に見せる句)を自分の目で選ぶ
そのために【良い句を見極める目】を養う。
良い句か悪い句かを判断できないと、自分が納得できる俳句も作れない。
ということだと思います。
なので、恐れずに多作してください。
その多作の中で、どれが「他より少しでも良い句」なのか、考えてみてください。
「ただごと」だと思ったら名句になった、ということもいっぱいあります。
そういうものをキャッチして「作る」ことに、おじさん様は長けていると思います。
迷ったら、こちらのようなサイトを使ってもらってもよいです。
そしてご自身で判断された句を投句する(人に見せる)ときに、私たちのコメントの感想が生かされていると、嬉しいです。
さて御句、季語「草刈り」の件や「人」「背」の件は出ていますので、別の話で。
上五季語「春の土」が気になりました。「春の土」があまり生きていないので。
作者が「人の背中」を見ている句で、土を見ていないのがわかるのが問題ですね。
例えば鳥越様の提案句のように「土」という季語を変えてしまうのもありと思います。
「草刈り」「草取り」が夏の季語なので、春の季節を詠みたいならば、季語以外の場所は変更が要るようです。提案はわざと大きく変えてみます。
・公園を掃除する背の長閑なる
点数: 1
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公園のフェンスの際で背中を丸く雑草を取っていた人がいた。