「老いたりてしみじみ仰ぐ夕桜」の批評
回答者 なお
おじさん様、こんにちは。
御句拝読しました。
人生ある程度、先が見えてくると、桜もあと何回見られるだろうかという気になりますよね。わかります。
わかるのですが、自分から「老いて」とは言わないほうがいいですよ。ますます老け込んでしまいます。
ギャグで自虐的に自分のことを年寄りというのはいいですが、俳句には出さなくてもいいと思います。
かつて私はこの道場で、盛んに「老夫婦」を入れた句を詠んでいました。何か十二音で作って、下五に「老夫婦」と置くと、なんでもそれなりにさまになってしまうのです。いやそう思えた。
するとある日、ある方から「老夫婦はあまり安易に使わないほうがいい」とアドバイスされ、目が覚めました。
これまでで最も心に響いたアドバイスです。おじさん様にも同じ趣旨をお伝えしたいと思います。
次に、「しみじみ」です。お気持ちはわかりますが、しみじみするから俳句を詠もうという気になるわけで、それをしみじみで終わらせてしまってはもったいないですね。
なぜしみじみしたか、どうしみじみしたかがポイントです。whyとhowの世界ですね(笑)。
例えば私は、こんなのを考えました。
・重ね来し思ひの巡る夕桜
これも決して上手くはないですが、おじさん様へのご提案のサンプルとしては用を成すのではないでしょうか?
おじさん様、凡人、凡人と言われてもめげずに頑張りましょうね!
点数: 1
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歳を重ねて老いた。来年は同じさくらを見られるのであろうか?