俳句添削道場(投句と批評)

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涅槃像過去世の我は小僧かな

作者 ちゃあき  投稿日

コメント(俳句の意味。悩みどころ)

季語手帖の今日の季語です。随分前のことですが、お釈迦様が入滅され、その葬列をお見送りした夢を見たことがありまして、その時の僕は、十二三歳位の子供でした。大人の在家の信者さんたちが皆泣いているので自分も泣かなければいけないと思うのですが、何せまだ子供ですからなかなか泣けずにいると、目の前を涅槃像の姿のお釈迦さまが弟子の曳く車に乗って通って行かれました。お顔は向う側を向いていたので背中しか見えませんでしたが、お身体は金色に耀いていました。
単なる夢とも思えず過去世の記憶の断片なのではないかと思った次第です。ご意見よろしくお願いします。

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「涅槃像過去世の我は小僧かな」の批評

回答者 なお

こんにちは。ちゃあき様、いつもお世話になってます。
御句拝読しました。また難しい句をお詠みですねー。「過去世」。前世みたいなものですか?

私が誤読したのは「小僧」でした。私はてっきり、身分の低い、下働きみたいな意味の小僧さんのことかと思いました。
そうしたら、そうではなくて、単に「子ども」ということですね?まあ同じ意味かもしれませんが、ちょっと心が軽くなりました。

最後を「かな」で詠嘆していらっしゃいますが、夢の話であり、小僧であることにあまり嬉しくないようですので、「小僧とな」「小僧らし」「小僧なり」とかではどうかと思った次第です。

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★★★★★

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「涅槃像過去世の我は小僧かな」の批評

回答者 げばげば

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★★★★★

こんにちは!
いつも勉強させていただいています。

米麹の句コメントありがとうございます。
樽いっぱいの春ということと、米麹だけでは、みそやみりんやいろいろ作るので、お酒に寄っていきたかったという部分で、やや説明的だったですねー。

御句。夢か幻かという句のようで、中七下五の光景が伝わりづらい部分はありました。過去世の私は小僧だったなあ、ということですよね。過去の自分は小僧、そうだよねー、そこに何を感じているのかに思いを馳せつつ、そこに涅槃像の力でいろいろ想像してみたのです。夢の中だったのですね。
うーむ、やはりストーリーの方を詠もうとしている傾向はあるかもです。
ある瞬間の描写をして、その周りにあるストーリーを受け手に想像してもらいたいのですが、句自体がストーリーを詠みにいくと難しくなる感じがします<(_ _)>

点数: 1

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「涅槃像過去世の我は小僧かな」の批評

回答者 イサク

句の評価:
★★★★★

こんばんは。

まずはこの季語を使ってみようという心意気に感嘆しました。
「涅槃会」に寄せれば日付感は出ますが、涅槃図・涅槃像そのものには季節感が薄いので、かなり難しい季語だと思います。

実際に涅槃像が旧暦2月15日の季語であること、は生かし切れていないと思います。
なぜ涅槃像から過去世に飛ぶのか。
風景を出さずに自分のことを語ってしまうのは、上手くやらないと詩から遠ざかるかもしれません。
過去の自分は小僧、ではなく、その小僧が何を見たか、の方が詩になりそうですね。私はあまり詳しくないので、涅槃図や涅槃会をどう描写したらいいかはわからないのですが・・・

・釈迦の背を見続けたるや涅槃像

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