「涅槃像過去世の我は小僧かな」の批評
回答者 なお
こんにちは。ちゃあき様、いつもお世話になってます。
御句拝読しました。また難しい句をお詠みですねー。「過去世」。前世みたいなものですか?
私が誤読したのは「小僧」でした。私はてっきり、身分の低い、下働きみたいな意味の小僧さんのことかと思いました。
そうしたら、そうではなくて、単に「子ども」ということですね?まあ同じ意味かもしれませんが、ちょっと心が軽くなりました。
最後を「かな」で詠嘆していらっしゃいますが、夢の話であり、小僧であることにあまり嬉しくないようですので、「小僧とな」「小僧らし」「小僧なり」とかではどうかと思った次第です。
点数: 1
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季語手帖の今日の季語です。随分前のことですが、お釈迦様が入滅され、その葬列をお見送りした夢を見たことがありまして、その時の僕は、十二三歳位の子供でした。大人の在家の信者さんたちが皆泣いているので自分も泣かなければいけないと思うのですが、何せまだ子供ですからなかなか泣けずにいると、目の前を涅槃像の姿のお釈迦さまが弟子の曳く車に乗って通って行かれました。お顔は向う側を向いていたので背中しか見えませんでしたが、お身体は金色に耀いていました。
単なる夢とも思えず過去世の記憶の断片なのではないかと思った次第です。ご意見よろしくお願いします。