「墓石群見下ろしている運動会」の批評
回答者 イサク
こんにちは。
いわゆる「山本山」俳句ですね。
上五下五に名詞があって、中七がどちらに着くかわからない、という。
よし造様ならこの呼び方と「避けた方がいい」というのはご存じと思うのですが、うっかりやっちゃうんですよね・・・
意味をはっきりさせるために、上五を字余りにして「墓石群を」「墓石群の」として問題ない形ですね。どちらでしょう?
点数: 1
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作者 よし造 投稿日
回答者 イサク
こんにちは。
いわゆる「山本山」俳句ですね。
上五下五に名詞があって、中七がどちらに着くかわからない、という。
よし造様ならこの呼び方と「避けた方がいい」というのはご存じと思うのですが、うっかりやっちゃうんですよね・・・
意味をはっきりさせるために、上五を字余りにして「墓石群を」「墓石群の」として問題ない形ですね。どちらでしょう?
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回答者 げばげば
こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
御句、いいですね。墓がみんなを見下ろしているという擬人を気にされるのは少しわかりますが、いたいけな子どもたちの声を聞いているのかなと思うとやはりしんみりしていいですね。
私の実親の墓(両親とも健在)は、期せずして、私の今暮らす家を見下ろす丘の上に位置するので、もし今後両親がいなくなることがあっても、いつも私の家ともども見守ってくれているのだなあという気持ちになります。そういう意味では、墓石(が)見下ろしている、という擬人ではありますが、そこに人?というか誰かがいて見下ろしてくれているような気もします(*'▽')
このタイプは中七がどっちなのかが少し悩みました。(墓石群が運動会から見えるというパターン)そこぐらいでーす(^▽^)/
点数: 1
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回答者 はや
どっちの意味だろう…と悩んでいたので、げばげばさんとなおじいさんのコメントを読んで「どっちともとれるんだ!」と思ってコメントしました。読む人によって受ける印象が違うのですね。
私はずっと墓地は高いところにあるイメージだったのですが、今住んでいるところは住宅街の中などあちこちに墓地が点在しているような地域で、運動会が墓地を見下ろしていても全然おかしくないんです。
どちらにしても、運動会と墓地の組み合わせはいいなあと思いました。また擬人化というより、運動会の場にいる人・墓地にいる人の視点というかんじがしました。
「新米や…」「六歳の…」の添削ありがとうございました。
「新米来」は祖母から新米が届いて、手紙や電話で「あたし元気」の言葉を聞いたという句でしょうか。唐突に「新米や」 を出すより流れがスムーズになっていいですね!ありがとうございます。
「六歳の…」はもともと黙考タイプの子で、お風呂に1人というのが心地よかったのかもしれません。「秋思」は自分にはうまく使えなさそうと思っていましたが、改めて考えるとぴったりな言葉ですね。提案句ありがとうございました。
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回答者 なお
こんにちは。よし造様、いつもお世話になってます。
御句、いい感じで私は好きです。擬人化は全然気になりません。
というよりよし造さん、私は面白いことに気がつきました!
げばさんのコメントを最後まで読んで、「え?何を言ってるの、げばさん?」と思い、句を読み直して驚きました。げばさんは、墓が運動会を見下ろしているととらえてます。
私は反対。運動会が墓を見下ろしていると読んでいました。なぜなら、普通、学校は高台にあり、墓は平地にあると思っていましたから。
げばさんは、お墓がすでにご自宅の上にあるから、そのように捉えたのでしょう。しかしそれでも、中七で悩むとはさすが。
よし造さん、真相はどちらですか?(笑)
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実景。こんな墓で眠れたらいつも子供たちの声が聞こえるのにと思う。
憧れの墓地。擬人化は嫌いだが、気持ちを素直に詠むとこんな感じ。