「向日葵やうつむくごとく垂るる花」の批評
こんにちは。
2作目、確実に前に進もうと、コメント欄にも自分の問題点を挙げていて熱心でとても好きです!
前回は季語「避暑地」を比喩に使ってしまったんですが、今回は、季語のことを比喩を用いて表そうとしているのでOK!そして、季語を用いて575。俳句としてちゃんと出来上がっています!季語も「うつむくごとく垂れる」で成立してると思います。
気になる点、1点目は、まだまだ無駄を省けるということですね。
向日葵は「花」なので、「花」という説明はいらないし、うつむくごとくと「垂るる」が同じ光景の描写なので重複します。「向日葵のうつむくごとし」で通じるので、残り5音で他の描写をできます。うつむくより「うなだれる」の方が言いたいことは言えそうですね。
2点目は、やはり類想感というか、本人指摘のありがちな比喩という部分。今回は、季語の「向日葵」だけを描写する一物仕立てというものですが、それをやるときは、相当細かい観察をして描写する力が求められるので、駆け出しの私はあまり手を出せません。他の取り合わせという手法を使って句を作る練習をしています。
座右の銘「実るほど頭を垂れる稲穂かな」この感じが、比喩を用いて稲穂のみを描くパターンですよね。これを見ると1点目の指摘のように
稲穂や頭を垂れるごとく「穂を下に向ける植物」
みたいに無駄な言葉を入れていないのがわかると思います。
そのうえで、頭を垂れるように見えるのは、「実をたくさんつけている光景」の描写であることがわかります。
ということは、香田さんのこの句も「暑さ」にうつむいているということがあればもっと良くなるのでは。でも、「暑い」は季語なので、「うなだれるごとし」の方が伝わるのでは?と答えてみました。
向日葵が下を向いているのを、うつむいている・うなだれているという表現で表そうという試みが十分詩であると思います!そこに少し意外性や驚きがあると比喩は成立するかと思います。そういう意味では俳句の比喩はそこそこ驚きが求められるので、あー、みたことあるたとえやなと思われると、句は一気に△になっちゃいます。
昼下り向日葵うなだれるごとし
一応、香田さんのコメントを見て、添削してみました。もっと、ここに詩の要素を足していく感じになると思います。
向日葵の「名前負けよ」とうなだれる
ちょっと詩を足してみました。どうせ比喩にするならもう、向日葵を擬人化していきます。「日」に「向かう」という名前に辟易として、暑さにうなだれる様子にしてみました。いかがでしょう?句意に沿いますでしょうか?
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前回の句でコメントくださった方、ありがとうございました。とても勉強になります。前回の課題の、季語を比喩に使わずに「ごと」や「めく」を使って比喩だと分かるようにするを念頭にかなり考えましたが、もっと分からなくなりました。皆さん、ご教授のほど宜しくお願いします。
1)比喩の句になっているか、ごとくの使い方があっているか、ありがちな比喩なのか
2)意味として通じるのか、暑さが伝わるのか、言いたいことが句になっているのか
内容:暑すぎて、向日葵さえもうなだれている様子