俳句添削道場(投句と批評)

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寒砂丘病みし夫負ひたもとほり

回答者 平果

添削した俳句: 病夫背におい砂丘行く友冬入り陽

病院仲間との御旅行は、病魔に対して奮闘された御褒美のようなものであったのでしょうか。共に癒えたことの喜びは、独りで感じるものと比べて幾層倍も深かったでしょうね。そんな深い共感を持ち合える仲間と眺める、何処までも広がる砂丘の印象は生涯忘れ得ないものになるでしょうし、その中のお一方がいまだ病身の旦那様を背負われて同行する様は、それ以上に心を打つものはなかなか無いと思われます。

句に盛り込みたい要素はたくさんあります。
①砂丘に在るということ
②病院仲間との旅行であること
③友達がいま病身の旦那様を背負っていること
④冬の入日の時間帯であること

この全てを盛り込むことは私の技量では難しいので、①③に絞ることにしてみました。①砂丘であることは絶対に外せません。③があれば②は連想がつくかもしれませんし、より重要なのは③の姿だと思いました。④も入日時に共に眺めた砂丘の印象を残したくはあったのですが、音数の限りがあるので、他の季語を探すことにしました。というのも、「どうにか砂丘を季語として詠み込めないだろうか」と考えたのです。インターネットの力を借りて探してみると、良さそうなものがありました。

一条の轍がつづく寒砂丘/島村正
空林に投網捨て積み寒砂丘/加藤耕子
風紋が生きて居るなり寒砂丘/池谷/修
https://www.haiku-kigo-ichiran.net/ku2845/

この「寒砂丘」を用いれば、季語で砂丘を言い表すことができます。五音なので上五にも下五にも使えそうです。

中七は「病みし夫負ひ」として、最も印象的な姿を詠みました。「夫」は「つま」と読ませれば七音です。

さて、残りの五音をどうするか。病院仲間の友達が行為の主体(つまり、旦那様を背負っているのは友達)ということを五音で詠むのは難しそうです。ここでふと昔目にした句が浮かんできました。

探梅やみささぎどころたもとほり  阿波野青畝

「たもとほり」という言葉は「同じところを行ったり来たりする。さまよう。」或いは「回り道をする。遠回りをする」という意味です。病身の旦那様を背負ったまま、ゆっくりと砂丘を歩き回る様は、この句の心に合っているのではないかと考えました。

貴句にあった「友」も「陽」も省いてしまった上に、「寒」の字も入れてしまったので、寒々とした印象が強まったかもしれません。そこは「たもとほり」の持つ、仄かな温かみに頼る他なさそうです。僅かでも御参考になれば幸甚です。

点数: 1

「棟上げを明日に控えて夕焚火」の批評

回答者 平果

添削した俳句: 棟上げを明日に控えて夕焚火

達成感と安堵感に包まれるような句ですね!

「棟上げを明日に控えて夕」ということは、その日いっぱいまで建築作業が続いており、その作業が全て終了した後の焚火ということでしょうか。ホッと一息つく気持ちがあるのと同時に、「明日に控えて」には既に気持ちが未来へ、最後の仕上げへと向かっていることが感じられますね。「焚火」を囲んでいる現在を軸にして、過去(建築作業)と未来(上棟式)との両方を想像させる佳句だと存じます。

点数: 2

小春日や柱光れる悉地院

回答者 平果

添削した俳句: 回廊の艶ある柱寺小春

寺院の柱が常に磨きあげられ、冬日に照る様は、身の引き締まる景ですね!

怠ることなく当たり前に清められている御寺を訪ねると、凡事徹底とでもいいますか、自分もまた折り目正しく、身辺をきちんと整えて生きようと思います。「艶ある柱」は、そう思わせるにぴったりの対象だと感じました。

ただ、「寺小春」は、寺にも訪れた小春日くらいの意味だと思いますが、私の調べが浅いのか先例も拾えず、「寺に在る」という状況説明に季語「小春」を半ば強引にくっ付けたような印象を抱いてしまいました。しかし、この語から「寺」を抜き、例えば「小春日よ」などとすると、何処の「回廊」なのか分からなくなってしまいます。そこで「回廊の」のほうを省くことにしました。

◯◯◯◯の艶ある柱小春日よ

という形式で、上五の冒頭に四音の寺名を持ってこようと考えました。以前に伊吹山の句を投句なさっていたので、調べてみますと、山頂に「伊吹山寺」があるのですね。しかし、写真を見る限り、「艶ある柱」という印象は無いし、そもそも六音です。付近に長尾護国寺があり、「護国寺」は四音でちょうどいいのですが、「護国寺」というとやはり東京のものが浮かんでしまいますね。

私の技量ではもうどうしようもないので、句の要だと感じていた「艶ある柱」を「柱光れる」に改め、季語は上五に持ってきて、下五には五音の具体的な寺名を詠み込もうと考えました。探してみると、「悉地院」という御寺が見当たりました。訪れたことはありませんが、五音で都合がいいので使わせていただくことにしました。僅かでも御参考になれば幸甚です。

点数: 0

冬晴れをひとり占めするとんびかな

回答者 平果

添削した俳句: 小春日をひとり占めするとんびかな

蒼天を悠々と渡る鳶の姿が目に浮かぶ句ですね!

「ひとり占め」の語が気持ちよいですね。この「ひとり占め」により、雲もない青空を表現し、大きな空と小さな鳶の対比を利かせた点もいいですね。何にも縛られることなく、自由闊達に飛んでいく鳶を眺めていると、自分自身も心が軽くなるようです。

提案句は、「小春日」を「冬晴れ」に改めたものです。「小春日」だと、暖かな一日のことになり、そこから陽射しを送る晴天が連想されますが、雲の有無までは描けないのではと感じました。「冬晴れ」ならば、コメントにお書きになっている通り、「雲一つない青空」を表現できるかと思います。ただ、「小春日」の持つ穏やかな暖かさも捨てがたいです。

先に投句されていた「六郷の」の句を拝読し、「石蕗の花」を実際に見ておきたくなり、植物園へ出掛けました。思ったよりも、しっかりとした印象を受けました。季語は実際に見ておくべきですね。学びの機会を頂きましたこと、御礼申し上げます。

丼上秋葵様の添削案は、童謡のようなやさしい響きがありますね。数ある一人称からひらがな書きの「ぼく」を選び取り、「ふたり占め」の語で「とんび」と「ぼく」との結びつけることで、やさしく温かみある句になりますね。

点数: 2

月明や永遠に燻る富士の山

回答者 平果

添削した俳句: 永遠の月焚火燻る富士の山

竹取を下敷きに、不死の薬を焼いた煙が今も燻り続けていると詠む、幻想的豊かな句ですね!

「永遠の月」は、太古から夜を照らし続けた月に、今もなよたけのかぐやが住み続けているだろう月の世界のイメージが重なって、この句の幻想性の源となっていますね。
その月と富士との取り合わせに、「焚火」は然程重要ではないのではと感じました。「焚火」とは人為的な火であり、帝が不死の薬を焼かせたことを込められていると存じますが、「燻る」の語だけで、その帝の行為や帝のかぐやに対する思いが今も残り続けている事が表現できると思います。
提案句は、「焚火」を切り、季語「月明」を上五に起き、切れ字を付しました。もう冬ですが、秋の句になってしまったことは御容赦ください。切れ字は、俳句としての芯が入ると考えて付けたものです。
次に、「永遠」の係る語を「月」から「燻る」へ変えました。前述の通り、実景としての月明り、幻想としての月世界の二重の永遠性は素晴らしいのですが、今も富士山が火山活動を続けていることと帝が今もかぐやを思い続けていることの二重性へシフトしてみました。貴句が天と天上人の永遠性であるのに対し、拙案は地と地上人の永遠性ということですね。念のため申し上げますが、拙案を推しているつもりはございません。僅かでも御参考になれば幸甚です。

点数: 1

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