「きららなす春の浅瀬に竿を振る」の批評
回答者 秋沙美 洋
久田しげきさん、こんにちは。
前置きとして、添削でなくてすみません。
第三者の批評に意見を述べるというのは僕の流儀に反するのですが、さすがに見過ごせない所がありますので失礼致します。
先日イサクさんの句を評した久田さんの言葉ですが、
>朝餉に力点が、葱の香はうすく、Eテレには意味がないようです。
季語を立たせるのが俳句
の基本ですから、前半二つのような批評はあって然るべきと思います。が、季語と取り合わせた事物に対して「意味がない」とは、何を根拠にそう断じているのでしょうか。
前提として、人の句を読んで何を感じるかは人それぞれの価値観に左右されます。僕が良いと思う句、久田さんが良いと思う句が違うのは当然です。久田さんがイサクさんの句を読んで「意味がない」という感想を抱くのは、誰も止めません。
しかし批評という形で意見を述べる時、どうしてそう感じたのか。という根拠を述べるのは、批評する人間としての最低限の礼儀ではないでしょうか。
「意味がない取り合わせ」という意見は尊重されるべき立派な意見です。しかし、なぜそう感じたのかを書かなければ、それは匿名掲示板で交わされるような雑言と変わりありません。
>感想や評には感情はありません。
このスタンスが間違っていると言う気はありません。僕自身、誰がどんな句を詠もうが、良いと思ったらそう伝えますし、逆もまた然りです。
しかし感想や評を受け取る側は、感情を持った人間だという事をお忘れではないでしょうか?
久田さんは「意味不明」「字余り」といった感想を頻繁に残されていますが、それって書く意味無いんじゃないかと常々思います。
意味不明な句は沢山あります(僕も意味不明な句はたくさん出会ってきましたし、自分でも詠んできました)が、それに対して「意味不明」とだけ書くくらいなら、書く価値は無いと思います。
意味不明なら意味不明なりに作者の考えに出来るだけ歩み寄り、改善案を一緒に考えると。これもまた、批評する者の姿勢として大事だと。僕はそう信じています。
作者はなぜこの事物を取り合わせに選んだのか?字余りの形にしてまで伝えたかった事はなんなのか?
そうした意図に少しでも寄り添う意思が無ければ、批評を書く意味は無いと思います
点数: 2
添削のお礼として、秋沙美 洋さんの俳句の感想を書いてください >>
立ち込むとまだ寒いが。