「朴の葉の舞ひ散る野外彫刻展」の批評
回答者 平果
添削した俳句: 朴の葉の舞ひ散る野外彫刻展
冬が近付く寒気の感じられる句ですね!
大きな朴葉が色を変じて散る様の物悲しさ。生物を象りながら体温を持たず、寒天に晒される彫刻群。両の対象が心理的な寒々しさで貫かれていますね。
また、「舞ひ散る」と詠み、景に動きを入れることで動かぬ彫刻との対照を描きながら、風の冷たさまで込める点は出色ですね。
次の句も楽しみにしております!
点数: 2
回答者 平果
添削した俳句: 朴の葉の舞ひ散る野外彫刻展
冬が近付く寒気の感じられる句ですね!
大きな朴葉が色を変じて散る様の物悲しさ。生物を象りながら体温を持たず、寒天に晒される彫刻群。両の対象が心理的な寒々しさで貫かれていますね。
また、「舞ひ散る」と詠み、景に動きを入れることで動かぬ彫刻との対照を描きながら、風の冷たさまで込める点は出色ですね。
次の句も楽しみにしております!
点数: 2
回答者 平果
添削した俳句: 一筋のライト頼りに霧の中
どこまでも白い濃霧が目に浮かぶ句ですね!
幼い頃、父の運転で箱根の山中を通った際、真っ白い霧に阻まれて、徐行したことが思い出されました。
私には普段見れない幻想的な景と感じられましたが、父は難渋したでしょうね。
その時は、まさに「ライト頼りに」であったと思います。
自分で運転をするようになって、貴句のような濃霧を経験したことはありませんが、想像するに、とても恐ろしく、果たしてライトがどれだけ役に立つのかと不安です。
なので、上記の句を認めてみました。
添削ではありませんが、御笑納下されば幸いです。
点数: 1
回答者 平果
添削した俳句: 縁側で小豆選る母舟も漕ぎ
秋の陽の柔らかな暖かさが伝わってくるような句ですね!
御年を召された御母堂を慈しむような捉え方にも温かみがありますね。
縁側で小豆を選る行為は毎年のことなのでしょうね。
また今年も小豆が届き、それを選り分ける時期になった。小豆は赤飯になり、御近所に福分けされるのでしょうか。
御母堂が夢に見ていらっしゃるのも、御近所の方々の喜ぶ顔かも知れませんね。
提案した句は、気になった「も」を「を」に改めたものです。
「も」だと、元々あった何かに「舟」を加えることになってしまうと感じ、単純に「を」にしました。
また、「縁側で」だと「縁側」が単なる場所の提示になり「小豆選る母」だけが前面に出るように感じました。
「縁側の」とすると、「縁側」という場所も「小豆選る」という行為も「母」という存在も、均等の重みで表現できるように感じたため、そのように提案させていただきました。
僅かでも御参考になれば幸甚です。
点数: 2
回答者 平果
添削した俳句: やれ嬉し椋鳥しきり鳴く窓や
温かな気持ちになれる句ですね!
情景を用いずに、「やれ嬉し」と直截な表現を用いた点に、その温かみの元があるように感じます。
また、「椋鳥」の鳴き声に「嬉し」と感じることができる詠み手の心の在り方にも、同様に温かみを感じさせてくれるものがありますね。
下五を、「鳴ける窓」のように体言止めにせず、「や」を用いたところにも、嬉しさが表れていて、素敵です。
次の句も楽しみにしております!
点数: 1
回答者 平果
添削した俳句: 初霜や積み上げし草化粧して
清々しい景の立つ句ですね!
草を積むという行為は、日常の一環なのでしょうね。
日々積んでいる草に、今日は霜が降りた。その変化に季節の移ろいを感じ取られたのですね。
うっすらと降りた霜は、まるで草に施された化粧のようだという捉え方も素敵です。
提案した句は、「初霜」が行為の主体であることを言わないようにしたものです。
「し」という動詞を省くことで、「初霜」が「化粧」という行為を「し」たという動作ではなく、「草」が「化粧」を施されている景を描けるかなと思いました。
「化粧」も、初霜のささやかさを考えて、「薄化粧」にしてみました。
僅かでも御参考になれば幸甚です。
点数: 2