拙句への批評賜り感謝です
回答者 丼上秋葵
添削した俳句: 日向ぼこ徹子の部屋を夢に見し
おはようございます。
熱が下がった、おくらです。
拙句「冬銀河」「銀杏黄葉」の句にご批評を賜り、ありがとうございます。
◆自販機に冬の銀河の落ちる音/大泉洋二郎様
冬の乾いた夜空に「チャリンと」「銀貨」が「落ちる音」が響くという情景に、私はこだわりがあったので、その音を焦点化してくださった座五の表現は素敵だと思いました。
ですが、「冬の銀河の」としてしまうと、【パチスロのジャックポットのように、ジャラシジャラと複数の硬貨が落ちる】イメージになってしまいませんか? また大泉様の提案句ですと、私が一番大事にしたかった【冬の夜空を見上げながらコーヒーで身体を暖める、前景化した〈詠み手〉の存在】が消え失せて、無人の「自販機」でも問題のない、場面の切り取り方になってしまっているよう受け止められます💦
◆はらはらと銀杏黄葉の能舞台/大泉洋二郎様
こちらの提案句に関して、一番気になったのは、「能舞台」という座五の表現です。
「ライトアップされた」「銀杏黄葉」を見た私が一番表現したかったのは、【〈夜の〉ではなく〈脚光を浴びた、主役としての〉「銀杏黄葉」】です。そこはかなり丁寧に菊花様が汲んでくださり、まさに【「銀杏黄葉」の「一世一代」の「大舞台」】を表現したつもりでした。
「銀杏黄葉」を「扇」に例えるというのは、詩歌歴の長い方からすれば、「ありきたり」かも知れません。ですが、【「扇」を用いて「舞」を披露する「銀杏黄葉の(一世一代の)大舞台」】という着想が、ありきたりなのかどうかを私はうかがいたかったのですが、そこはいかがでしょうか💦
大泉様の提案句ですと、座五の「能舞台」という言葉の主張が強すぎて、「はらはら」と葉を落とす「銀杏黄葉」が主役ではなく、背景に押しやられてしまうような感じを受けてしまいます💦
「駄洒落めいた」「ありきたり」「普通の感じ」と、受けた印象を率直にお伝えくださるのは、こちらとしても大変参考になるのですが、読み手としての大泉様が、何を、どう受け止めて、どこが問題だと感じたのか、より具体的にご助言をいただけますと、ありがたいと思います。
長くなりましたので、御句への感想は、追って、お伝えさせていただきます。
少しでもご参考になれば、幸いです。
点数: 1