おはようございます。
お陰さまで、熱は下がりました。
今日もクールに、おくらです。
拙句「銀杏黄葉」の句に、ご批評を賜り、誠にありがとうございました。
銀杏の葉を扇に例えることは詩歌歴の長い方だと割とありきたりだと受け止められがちなのですが、【扇で舞う銀杏黄葉の一世一代の大舞台】という着想は、比較的、斬新なのではなかろうか、という拙句でした。その最もお伝えしたかった「一世一代の大舞台」の句意を、丁寧に汲み取って下さり、嬉しかったです! ありがとうございます!
恐縮ながら、御句に感想を述べさせていただきます。
まず、平果様に拙句「百人一首」の句にご批評を賜りましたことへの心からの感謝をお伝えすると共に、座五の「ほおかむり」を季語として、どう扱うのか? という、ご質問にお答えさせていただきます。
答えは、季語としては扱わない、です。今作に関しては、【〈山がまるで、ほおかむりをしているようだ〉という〈山の紅葉の暗喩〉として「ほおかむり」という言葉が機能しています。〈暗喩として用いられた言葉は、季語として機能しない〉。】このことは、私が、この道場で身を以て学ばせていただきました。ですので、この句の季語は「初霜」で動きません。ご安心ください。
御句の視覚的情景描写はしっかりとされており、平果様がおっしゃられておりますように、読み手の目の前に鮮やかに景が浮かびます。
御句の一番の問題は、「初霜」と「ほおかむり」の因果関係です。
上五を「初霜に」としてしまうと、【冬が到来し、初霜が降りるほど、寒くなった。だから、山も紅葉している】という順接の因果関係が生まれてしまいます。
ですが、恐らく、句意としてはまったく逆なんですよね?
【冬が到来し、初霜が降りるほど、家の前の畑は冷え込んでいる。にもかかわらず、山はまだ秋の装いだ。紅葉はほおかむりをしているように見える。】という逆接の句意だと、私は受け止めたのですが、いかがでしょうか?
だとするならば、【山はまだ秋の装いなのに、冬が到来を告げる「初霜」が降りたことに対する、詠み手の感動を強調するためにも、上五は「初霜や」とする】のが、適切だと思います。
少しでもご参考になれば、幸いです。
添削のお礼として、丼上秋葵さんの俳句の感想を書いてください >>
初霜で本格的な冬到来です。野菜の冬支度に外に出れば、山は紅葉の真っ盛りでした。