病床の籠に積まれり梨数多
回答者 丼上秋葵
添削した俳句: 細胞の渇きも梨に癒さるる
おはようございます!
今日も元気に、おくらです。
恐縮ながら、御句「梨」の句に感想を述べさせていただきます。
【「梨」の美味しさに心を「癒さ」れただけではなく、〈水分豊かな果汁〉によって「細胞の乾き」まで「癒さ」れた】という句意と受け止めましたが、いかがでしょうか? ご安心ください。詠み手の思い、句の心自体はしっかり伝わってきています!
この句の問題点は以下の二つ。
①「細胞」の視覚的情景を、読み手が想像し辛い点
②「癒さるる」という言葉の是非
です。
①「細胞に」という選語に、大泉様の独創性と冒険しよう、という心意気は感じられます。その表現への挑戦自体はすごくいいことだと思います! ですが、その選語が、御句の視覚的情景描写を著しく難しいものにさせてしまっています💦
まず、俳句の基本的な作り方の一つとして、句を読み終えた後の読み手が、目の前にはっきりとした視覚的情景を想像できるように詠むことが大切とされています。
御句を改めて読み返していただき、いかがでしょうか? 【詠み手が梨を食べている】ところまでは想像できますが、〈誰が〉〈どこで〉〈何時〉〈どのように〉〈なぜ〉食べているのかまでは読み取れないと思いませんか? 勿論、ある程度までは、読み手の想像力に託すことを俳句という詩歌は許しています。ですが、それを踏まえても、御句は情報が不足し過ぎているように感じました。
②直接的な感情表現は極力避けましょう!
〈癒された〉という気持ちは、この句の根幹の部分ですが、それをそのまま口に出してしまったら、散文と一緒です。「癒された」という言葉を使わずに〈癒された〉という気持ちを表現する。それが俳句という詩歌の醍醐味です。
◆病床の籠に積まれり梨数多
拙句は、御句の句意を最大限尊重しつつ、出来るだけ5W1Hを具体的に描写できるよう、考えてみた提案句です。
〈風邪でも引いたのでしょうか? 病床の詠み手の枕元には、お見舞いでいただいたであろう「梨」が籠の上に沢山積んであります。〉という句意です。
病気で枯れ果てた身体の「細胞」に水気豊かな「梨」は染み渡るでしょうし、寝たきりで楽しみの少ない病人には、その味も「癒」しにつながるでしょう。さらにこの句では、籠一杯の「梨」をお見舞いに持ってきてくれる知人がいることも詠み手の「癒」しにつながるよう、配慮しました。
「細胞」のような、表現に対する挑戦は、私も頑張りたいと思います。勉強になりました!
少しでもご参考になれば、幸いです。
点数: 1