「イヤホンのクール沁みいる冬田かな」の批評
回答者 幸福来々
添削した俳句: イヤホンのクール沁みいる冬田かな
はじめまして。
『去年今年』の句のご指摘があまり理解できませんでした。
野暮は遊郭で、「センスのない男客」という意味で、泣くは「喘がされる」という意味です。
そして、「泣かない」と言うことにより、いつもは泣いてるということを想像させたことにより、なぜ『去年今年』の季語が尚活かされるのかがわかりません。
さて、本句ですが私は以下のように読みました。
冬田の前では、イヤホンの冷たさをなお感じてしまうほど、私の心が疲れてる。
コメントでおっしゃっている句意どおりに読むのは難しい気がします。
理由は、以下のとおりです。
・『冬田』の本意は、稲を刈り終わっただけでなく、緑が枯れ果ててもうなくなっってしまった田である
・『イヤホンのクール』と『冬田』で冷たさを連想させる
・『沁みいる』からの『冬田』が悲観・悲壮感を連想させる
ジャズを聴いて足取りが軽かったのか、それとも沁み入るような感慨があったのかちょっとわかりませんが、単純に「ジャズ」と『冬田』の取り合わせ面白いと思いました。
添削というか、提案句としては
【原句に近い】
・イヤホンのジャズの沁みいる冬田かな
【クールを具体化】
・イヤホンのジャズのスイング冬田道
【具体的な曲名に託す】
・sing sing sing奏でるイヤホン冬田道
点数: 5