「ランナーの行く先々を躑躅かな」の批評
回答者 鳥越暁
添削した俳句: ランナーの行く先々を躑躅かな
おはようございます
「かな」の詠嘆で余韻がありますが、その前の「を」が物事を特定する働きがあるために、余韻の広がりが狭まっているようにみえます。
「へ」「に」「の」などに置き換えられますが、私は「の」を推します。「へ」「に」は方向性を示すので、「行く先々」に被せる形となる気がするからです。
点数: 1
回答者 鳥越暁
添削した俳句: ランナーの行く先々を躑躅かな
おはようございます
「かな」の詠嘆で余韻がありますが、その前の「を」が物事を特定する働きがあるために、余韻の広がりが狭まっているようにみえます。
「へ」「に」「の」などに置き換えられますが、私は「の」を推します。「へ」「に」は方向性を示すので、「行く先々」に被せる形となる気がするからです。
点数: 1
回答者 鳥越暁
添削した俳句: 花楓そぼ降る雨の煉瓦道
こんばんは
「そぼ降る」は雨にほぼ限定される表現です。なのでイサクさんのおっしゃる誤読はなかろうとは思います。ですが、なきにしも非ずと避けるならば、「そぼ降る」だけでも雨の意味を含有しているので「雨」を省くことができます。
◆花楓そぼ降るは煉瓦の小路
などいかがでしょうか
点数: 2
回答者 鳥越暁
添削した俳句: 老いてより習ふ空手や花蘇鉄
こんばんは
拙句「筍と竹」の句へコメント、ご提案句ありがとうございます。季語の選択、もしくは下五に推敲の余地がありそうで取り組みたいと思います。
御句について
まず、俳句は詠み手からの視線が前提となります。なので、「空手を習う友人」を見ている自分の目線で詠むべきです。
しかしながら、ここは道場ですので、それをご承知で自分に置き換えての作と考えます。
次に「老い」ですが、70代、80代の現役の俳人がたくさんいらっしゃいます。ある俳人の方は「簡単に老いを語るな」と角川で言っています。
「老いたから」「老いたのに」はすごく便利で簡単なのですが、それを言わずに表現した方がいいでしょう。
年齢は皆が重ねて、共感できる部分でもあるので、実際の年齢を示唆するのはどうでしょうか。
実年齢は存じ上げませんが、「四十路」「五十路」「還暦」などです。
大変失礼なことも申し上げたかもしれませんが、ご容赦くださいませ。
点数: 1
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