指窓の蜂の目玉に家あまた
回答者 加良太知
添削した俳句: 蜂がきて窓から覗きをる一家
こんにちは。添削の上五は「窓際の」「破窓の辺」等も考えたことがあります。
こちらからの拙句のこともお聞かせてください。
「残月やラジオの中の死者のこゑ」この句はもはやどうでもいいです。書いた時はそんなに深く考えたのではありませんでしたから。ちょっとお聞きしたいのですが、イサクさんは尊皇主義者ですか?私にとって、今の天皇というものがいるかどうか、誰がやっても全然構いません。ましてや死んだ人の話。この句には何の比喩もなくて、真実を書いただけです。
「童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日を祝ひける信長」この句の発想は夏井いつき先生選の「童貞聖マリア無原罪の御孕りの祝日祝う桃太郎」からのです。今は彼女の選句の癖がどうかはともかくとして、「祝ひける」を捨てると、どうやってこの二つのものを結び付けると思いますか?ただの「の」等で?
「走馬灯ふと暗みたるお岩の絵」のことですが、ちょっとお聞きしたいのですが、イサクさんはプロの作家か歴史学者ですか?お気持ちは敏感ですね。私にとって、実在の人物であろうとなかろうと、重要ではありません。文学にはどの角度からも自由に描写できます。これは尊敬しないとか人間性がないとかの問題ではなく、自分の言いたいことを読者に伝えることが一番大切だと思います。前の織田信長も同様に、数百年来の作品はすでに彼の残酷なイメージを打ち立てました。今は一人の力だけでは何も変えられません。こうしてみると、「お岩」も「信長」も、皆ただ創作時の駒にすぎません。
ちなみに、「五七五」を「ごーしちご」、「面皰」を「めんぽう」と読むのが今まであまり聞いたことがないので、疑問を抱いています。
でも正直に言えば、イサクさんの「冬日和ガラスに烏ぶつかりぬ」、
「イヤホンのコードをほどき花見かな」等のご添削も素晴らしく思って、ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
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