「足先は水の中なり浮寝鳥」の批評
回答者 ちゃあき
めでかやさん、こんばんは。お世話になります。
上五中七は「水中の足」でこと足りていると思うので、コメントの「冷たかろう」を入れてみたのですがどうでしょうか。
・「水中の足冷たかろ浮寝鳥」( 冷たし との季重なりですが推定なので許容範囲?)
次回も楽しみにしています。
点数: 2
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作者 めでかや 投稿日
回答者 ちゃあき
めでかやさん、こんばんは。お世話になります。
上五中七は「水中の足」でこと足りていると思うので、コメントの「冷たかろう」を入れてみたのですがどうでしょうか。
・「水中の足冷たかろ浮寝鳥」( 冷たし との季重なりですが推定なので許容範囲?)
次回も楽しみにしています。
点数: 2
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回答者 イサク
こんにちは。
他の方も言っていますが、当たり前を如何に詩とするか、というのは腕の見せ所です。
めでかや様の例示された句と比較してしまいます。
【鳥の巣に鳥が入ってゆくところ 爽波】
この句は当たり前を詠んだように見えますが、
◆すべて見えている映像で成り立っています。
◆「鳥の入っていく瞬間」を詠むことで「空の巣」「巣立ちを終えた鳥の巣」ではないことを明らかにしています。
◆この句に「鳥の雛」を想像するかどうか?で受け取り方が変わる句です。私は「雛はまだいない鳥の巣」を思い浮かべました。番の二匹。これから卵を産むのでしょうかね?
◆あるいは「あまりに高い木の上に巣をみかけて、たった今一羽の鳥が入っていった。雛がいるかどうかすらもわからないが、生命の営みを感じた」という受け取りもしました。
他にも受け取り方があると思います。
さて、めでかや様の句は・・
◆この句の水鳥の足先、そもそも見えてます?
・見えていないなら【足が水の中にあって当たり前、という理屈の句】ということなので、この形で詩を出すのが非常に困難な感じがします。
・見えているなら、「足先」?「足まるごと」?もっと描写したい気がします。リアリティが欲しい・・
という感想でした。
見えていないなら、見えていないことを前提の句にしてもいいかも?
さて、どういう着地にしましょうか。
・足先の見えぬかたちや浮寝鳥
点数: 3
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回答者 葉月庵郁斗
水鳥から浮寝鳥と良い季語を持ってこられましたね。
佐渡様がおっしゃるとうり季語から
足は水の中にあるのはわかっているので
足の状態を描写してみました。
いい提案句ではありませんが
足元の固まってをり浮寝鳥
またよろしくお願いします。
点数: 2
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回答者 負乗
めでやかさん、こんにちは。
足元の冷たさが感じられて、なんか、可愛くて良い句ですね😉
疑問点は、この「なり」ですかね…
断定の"なり"だと思いますが…ここは推定ですよね…少し違和感。(見る作者の思考が入っていると言うか…)
「足先は水の中なる浮寝鳥」
とかの方が… 良いかな、と思ったのですが…
点数: 2
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回答者 佐渡
めでかやさん!おはようございます。
いつもお世話になっております。
水鳥には水は気持ち良いと思う。
提案句
両足を休めて寝たり浮寝鳥
よろしくお願いいたします
点数: 1
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回答者 葉月庵郁斗
再訪です
マフラー句コメントありがとうございました
季語を主役にしたかったので
巻かれてにしたのですが
提案句がストレートでそちらの方が
良かったです
またよろしくお願いします。
点数: 1
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回答者 佐渡
めでかやさん!こんばんは!
再訪です。
いろいろ考えてめでかやさんの憂さしい気持ちを俳句に込めました。
・夜もすがら冷たき水に浮寝鳥
水鳥を思う気持ちを詠んでみましたが、如何でしょうか?
点数: 1
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回答者 佐渡
めでかやさん!おはようございます。
再訪です。
足は水中の中は当たり前なので提案句難しい。
別な形で
・水鳥の寝るなか遊ぶものもをり
よろしくお願いいたします
点数: 0
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回答者 負乗
めでやかさん、こんにちは。
足元の冷たさが感じられて、なんか、可愛くて良い句ですね😉
疑問点は、この「なり」ですかね…
断定の"なり"だと思いますが…ここは推定ですよね…少し違和感。(見る作者の思考が入っていると言うか…)
「足先は水の中なる浮寝鳥」
とかの方が… 良いかな、と思ったのですが…
点数: 0
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回答者 加良太知
めでかやさん、素敵なご感想いただき、ありがとうございます!
めでかやさんはまだ俳句を始めて間もないようですが、このサイトでのご活躍から、上達は間違いなく早いと感じています。益々のご傑作を楽しみにしています。
(因みに、もしご都合がよろしければ、めでかやさんのツイッターアカウントをお聞かせいただけませんか?)
それでは、めでかやさんの結論について少しコメントさせていただきたいと思います。
確かに、句風や句柄といった言葉は、他人を評価するときに使うのが普通で、自分の作風がどうのこうのと直接言うのは珍しいですね。では、句作を積み重ねながら、他人に自分のスタイルを感じさせるにはどうしたらいいのでしょうか。殆どの人が、いろんな句を詠みながら、自分に合ったスタイルを探すというアプローチを取っているのです。ただ、最初から自分の大まかな方向性さえ決めておかず、ひたすら「自在にやっていこう」と思っていますと、いつまでたっても本当に「自分のための作品」が育ちませんし、たまたまいいものが作れたとしても、俳句についての認識は停滞したままになってしまうのでしょう。
例えば、ある光景において、多くの人はそのシーンのあらゆる側面を描写しようとしますが、上級者であれば、ある特定のものだけを捉えたり、いろんなものを描写していても、作品全体として感情や表現は同じであったりすることがあるのですね。これは上級者の信念というか、習慣というか、似たようなものと考えていいと思うのです。とにかく、この感覚は他人には句風や句柄として見え、自分には個人的な描写傾向・好みとして見えます。これは、自分自身が常に意識することであり、他人だけが感じることではないと思います。そして、この道を進んでいきますと、次のレベルとしては、賞を取ったり、俳論を書いたり、選者になったり、ということになるのでしょうね。俳句初心者には句作の広さが大切ですが、いずれは深さに立ち帰ると思っています。
もちろん、こういうレベルに達するには努力だけでなく、天賦の詩才も必要であり、多くの人にとっては単なる理想に過ぎません。私たちは基本的な目標を決め、あとはマイペースでやっていけばいいと思うのです。
めでかやさんは、すでに自分なりのこだわりを持っているようなので、「昆虫や小動物をクローズアップするのが得意です」と気楽に言える日が来ますように。
先日、げばげばさんにも紹介したのですが、すいようさんや三枝ぐさんなどの、作品を見ただけで作者がわかるほど作風がはっきりしている方もいますので、機会があればぜひツイッターでチェックしてみてください。
以上、あくまで私見ですので、ご笑覧いただければ幸いです。こちらこそ、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
点数: 0
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
やはり冷たかろう。