「五十日やATMの春日傘」の批評
回答者 卓鐘
添削した俳句: 五十日やATMの春日傘
こんにちわ。ヒントでわかっていただけて良かったです(笑)
こちらの句、やはり春日傘の位置関係が曖昧に感じました。春日傘(の人)がどこどこにいるっていう句がたくさんある中、やはりその位置関係に迷いを生じさせるのは損だと思います。「春日傘」はあくまで「日傘」というものでもあるので。
「ATMに春日傘が置いてある」「ATMに並んでいる人の中に春日傘の人もいる」「ATMに並んでいる人が皆春日傘」これをどっちにとってもらってもいい、読者に委ねるというのはちょっと雑だという印象になるタイプの句だと思います。人選の句にはその辺りの迷いがない句が多い印象でした。
もう一点。「五十日や」の詠嘆が、(だから)ATMに人がいる という因果を強調しているような使い方になってしまっていて、あまり効いてないように思います。(五十日のATMとすれば因果ではなく、ものを出しているだけ)
さらにもう一点、この句は「春日傘」である必然性が薄く感じました。
「五十日のATMの日傘かな」とあまり違わない。むしろ夏らしさの方が光景が見えやすいかもしれません。混雑をさらに強調して、日傘が出てくる効果がある分。
「ブラウスの袖まくり上げ春日傘」こっちはわりとよくある光景なものの、上記の問題点は緩和されているように思います。
・袖をまくっている人が春日傘をさしている or まくり上げて春日傘を指すのかの?は残りますが、句の趣はどちらでも行ける。
・ 「まくり上げ日傘をさしました」ととると少し、冗長な感じはしますが、大きく気になる感じではありませんでした。
・「ブラウスの袖まくり上げ」という行為は、夏より春の方があっているようには思います。春にまく上げているところに良さがありそう。
結果ありきで、いろいろいってごめんなさい^^;
(結果がない状態で同じ批評ができたかは、、、、わかりません^^)
点数: 1