「無不穏を不穏とか煽るべからず」の批評
回答者 卓鐘
添削した俳句: 無不穏を不穏とか煽るべからず
こんばんわ。
一時の感情で、去るとかいうのやめましょうよ。折角の俳句で繋がれる場所ですから。(これはイサクさんも含めてです。)
で、ケントさん。頭を柔らかくするには?と以前問いかけがありましたね。そこで一つ僕から感じることを。(僕もできてないことも多々ありますが)やはり多様性や様々な意見を認める・認めようとすることではないでしょうか。同調しろということではありません。そういう視点・考え方もあること、そしてそういう考え方をする人を認めること。とはいえ、好き・嫌いは当然出てきますが、嫌いという感情に流されない努力というものが必要かと。少なくとも自分の考える正義や価値観が絶対ではないということです。(という考えも一つの価値観であり、これ言いだすとややこしくなりますが^^)
今から、ケントさんがこれまで主張されたことと僕とで考え方が違うところをいくつか書いてみようと思います。これは何か説得しようという意図ではなく、少なくとも僕はケントさんに嫌悪感・敵対意識はもたれてなさそうなので、幾らか多様性というものに触れていただければという意図で書きます。随分前の話も順不同で持ち出すことご了承ください。
1)以前誰かが妊婦さんの容姿を句にしたことについてのケントさんの批判について
僕は、「妊婦さんのお腹の膨らみ」を句にすることについて全く問題視しませんし、それを問題視することは好きではありません。なぜなら、どんなことでも誰かをきづつける可能性は0にはなりませんし、自然の摂理を自然を受け入れて表現することは創作として当然だからです。もちろん軽視・卑下するような表現はいけません。「表現の自由」と「人権」はどちらか一方だけに加担して議論/批判するのは大変危険なことだと考えています。
2)震災忌が3・11を象徴する季語になる可能性についての発言
これについては、僕もイサクさんに近い感想は持ちました。イサクさんほど、問題視はしてませんが。1)の主張があるならば、なぜ2)についてのイサクさんの指摘にも耳を傾けられないかは疑問でした。これにはケントさんの勉強不足もあります。「震災忌」と言えば、「関東大震災」のことです。阪神、東北についてはそれぞれ「阪神忌」「東北忌」と別の季語がちゃんとあります。一度、歴史的な背景で固まった季語を新しい震災が起きたら、そっちが記憶に新しいからそっちが定着するだろうという発言は、僕にも少し違和感はありました。もちろん、「震災忌」と言ってもいろいろあるから個別に使い分けようという議論があるかもしれませんが、現時点「震災忌」と言えば最初の関東大震災と歴史的に定着している俳句のルールの中で、それを一方的な視点で確定するような発言は、確かに誤解を招く恐れはあると僕も思います。関東大震災の被害者にとって、古い話だからこっちに変えようぜみたいに捉えられかねないと言われたら否定も難しいところで。(繰り返しますが、僕は、それほど問題視はしませんが、僕ならそういう発言はしない。)
3)返信するのがマナーである件について
僕は全くそうは思いません。そう思う方はもちろん、その信念でやられて構わないし、それは立派なことだと思います。でもそれを人に求めると言ったことは好きじゃありません。なぜならば、すべてに返信をしようとすると、時間的を随分使うことになり利用のハードルが上がってしまうからです。そんなことをこのサイトのマナーにしてしまったら、逆に活性化しません。息苦しい。でもあまりに返信がないとそれはそれで怖いので、いいね押すとか、次の投句で一言あるくらいはしてくれたらいいのになぁとは思います。ケントさんの考えるマナーが「至極当たり前のこと」とは全く思いません。
4)異なる論点を混ぜての議論について
僕はこれがとても嫌いです。ケントさんは、「震災」の指摘の話と「返信がなかった(イサクさんをマナー違反と感じている)」を混ぜたコメントされてました。これは本来全く異なる論点のはず。なんでこれが嫌いかというと、別の論点でのわだかまりで、反論してないか?と勘ぐらざる得ないからです。
5) 不穏について
みなさんが不穏と言っていることに深い意味はないと思いますよ。ケントさんが不穏分子なんてことも誰も言ってない。ただ、やりとり上のいざこざがあるのは事実でなので、それを指して表現しているだけです。
6)ケントさんが去る理由
これは僕もイサクさんの勘違いと思います。
7)喧嘩腰な物言い
ケントさんの発言にある喧嘩腰な物言いは忌になることはありました。この俳句サイトのことを「あなたたち仲良しグループ」的な発言(正確には忘れました)、そして今回も「シンパの方々」という発言。これらの発言は、一側面だけを見たものであって、かなり悪意のこもった言い方です。誰もどちらかに肩入れしていませんので、どう見てもこれはケントさんの思い込みに見えます。
随分と長文になってしまいました。1)〜 7)は全く異なる話です。本来、ここでは俳句以外のことの論争はするべきではないし、そうならないよう極力気をつけてはいるのですが、どうにもケントさんは自身の正義・価値観を周りにも求めようとする傾向があるようにお見受けします。少し、他者の視点というのもご理解いただけるといいのになぁという希望で、僭越ながら僕から見た意見を置かせて抱きました。
そして願わくば、せっかく、繋がった仲、誰も、サイト去るだのさみしいことは言わないでほしいところであります。
点数: 9