俳句添削道場(投句と批評)

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「お返事や雑談ここへ願います」の批評

回答者 イサク

添削した俳句: お返事や雑談ここへ願います

いまさら寝た子を起こすようですが、個人的な意見として。

みつかづ様が、ここを使っている他のユーザに「こうしてほしい」と伝えるのは自由だと思いますが、
このサイトのルールや一般的なネットマナー・俳句のマナーに反していない限り、強制力はないと思っています。

ましてや俳句の鑑賞や感想・意見は百人百様だと思いますし、それを言語化する能力も他者に強制されるものではありません。
サイト運営者でもない人間が他人のコメントに縛りを入れるのもマナー的には微妙なところですし、他人にはそれを順守する義務もありません。
(マナー違反の投句に「マナー違反」と呼びかけるのはかまわないと思います。わたしもやったことがあります)

このサイトはオープンで、運営者も全く干渉してこず(というか放置?)訪問者各位の好意で成り立っているように思います。お互いの希望は、好意の枠の中で完結させたいものです。

以上、個人的な意見としてお伝えしておきます。

点数: 9

「夏近し僕は立派な自閉症」の批評

回答者 げばげば

添削した俳句: 夏近し僕は立派な自閉症

こんにちは。
いつも勉強させていただいています。

このスレッド、少し繊細なスレッドのように感じました。
人間100%同じ信条であるということはなかなか難しいことで、どんなコメントを書いても、そこは自分と考えが違うぞというところを見つけては揉めたりとかするような世界線に感じるからです。

げば自身も近親に障碍のある者が、とか、自分の仕事柄出会う人々のことや、自分自身の病気のことや、、とここでいろいろ語ることもできるかもしれませんが、この場所が自分語りの場所かどうかも分かりませんし、自分語りの発表を要求する場所かどうかも私にはわかりません。

ここからは俳句論ですが、
何を詠むのもNGがないのが俳句ではあると思う一方で、繊細なテーマを句にするときは、詠み手が思った通りのことが読み手に伝わるわけではない、鑑賞を相手に委ねるタイプの文芸である俳句には少し不向きであると感じるときもあります。
この道場に来て、すぐのころ、俳句に政治的信条を盛り込んだ句を詠んだときに、すぐになおじいさんにたしなめられました。「俳句は詩情を求めていかんとですな、げばさん」という言葉でした。「なんだとー、私の政治信条を(怒)」と思うこともできたのですが、私はなおじいさんの言葉になるほどそりゃそうだなあ。と感じました。読み手の心の湖に少し波立たせるような詩情という句とはかけ離れた政治信条の本位の句だと感じました。そんなことを言ってくれるなおじいさんに感謝もしました。
その後しばらく経って、「異教徒の碧き眼や渡り鳥」という句を詠んだこともありました。そのときも、なおじいさんから、「異教徒の碧き眼」のあたりの表現は大丈夫かい?初読ではどう受け取られるか?げばさんの力量なら詠みたい詩情をもう少しちがう形で届けられるのでは?と言ってくれました。そのときも、ハッとしました。なるほど、自分がこう思う!と思って詠んだ句が自分の手を離れたときに、ぜんぜん違うものとして伝わって、それが意図せず、誰かを傷つけたりすることもあるかもしれないということに気づいたからです。
いずれにしろ、俳句にはNGはないとはいえ、読み手にどう届くかを意識するようになりました。言葉は心の湖を波立たせるものであると同時に、人を悲しませたり傷つけたりする力もあると痛感したからです。

ケントさんの前の句、すぐにコメントにいけずすいませんでした。蜂という季語に私の鑑賞が追っつかず、ケントさんが思っていることとは全く違う句意で堂々めぐりしていたからです。読み手は自由に鑑賞するので、意図通り届かないといろんな思いする方がいるかも、と思って、そう書こうかどうかと迷っているうちに、イサクさんが先にコメントに行ってくれていました。イサクさんの言葉は時にストレートですが、他意のない方だと長い付き合いで私は思っています。私がここまで書いてきた俳句論的なことを言いたかったのではないかと勝手に推察しています。(ちがったらすいません)

誰が先に俳句以外の議論に踏み込んだということは抜きにして、ケントさんが俳句大好きで戻ってこられたのも知ってますし、ケントさんと今後も俳句のそして詩の話をたくさんしていけたらと思っています。

長々と書いてすいません。言葉には気をつけましたが、この文章を不特定多数の方が読んでいると思うので、私にも他意はない、ただ俳句が好きなだけだということをお詫びとして付け加えさせてくださいませ。
こういうときなおじいさんが常駐してるなら、、というところですが、今はお忙しいシーズンですので、若輩が失礼しました。よろしくお願いいたします。

点数: 9

添い削る削り添う句に来る秋

回答者 三日酔いの防人

添削した俳句: 添削の礎いずこ蝉時雨

ハオニー様、皆様今晩は。私は俳句素人で添削などという行為はおこがましいことだと思っています。最近になってこのことに気付きました。剣道で言うところの『撃って反省撃たれて感謝』的な感覚ですかね。
記させて頂いた川柳のとおり添削は本来時間がかかるもので、一言二言で済むものではありません。
その中で、私を含め、添削依頼をされた方は、的確な添削はもちろんですが、早期に数多くの意見を聞きたいのです。
腹胃壮様、私は添削トキワ荘大賛成です。様々な方の添削や感想、その中で適切な添削をしてくださる方がいれば素晴らしいことで。その一つ一つを受け容れるのは、受け手次第です。
本題から逸れてしまいました。私は添削をするにあたり、基本を守ることが一番だと考えています。まず季語についてで、季重なりがないか、続いて17音であるかです。更に切れ字が効果的に使えていればなお良いと思います。ハオニー様の言うとおり、私もなるべく原句のままを残せればと思います。長々とすみませんでした。

点数: 8

廃屋や白梅の装いなお続きの批評

回答者 三日酔いの防人

添削した俳句: 廃屋や白梅の装いなお続き

染井吉野様、今晩は。下五の『なお続き』が上五の『廃屋や』と良い響きを織り成していると思います。中七をスッキリさせると良いと感じました。
廃屋や梅の白さのなほ続き
と提案させて頂きます。

点数: 8

「鑑賞お願い致します」の批評

回答者 ハオニー

添削した俳句: 鑑賞お願い致します

さすがですよ、この句は
言葉がただ並んでいるわけではありません

麦わら帽子に太陽の跡ということは、日焼けしないようにと麦わら帽子をずっと被っていたということです
麦わら帽子が日に焼けると、もちろん色あせますね
これが大事なところです

海の痕ということは、海で以前に何かあった証がその麦わら帽子にあったのでしょう
麦わら帽子に海の砂がついていたか、潮の匂いがしたか、そこは詠み手の想像に託したようですね

これは作者自身が小さいときに、海辺で磯遊びをしていたところを「麦わら帽子」の「あと」で表現しようとしたのだと思いました

麦藁帽に太陽の跡海の痕
なら言葉の上では三段切れではありませんが、わざと三段切れに見えるようにしているのでしょう
その理由は三段切れの効果にあります

よく嫌われている三段切れですが、それの何がいけないかご存じですか?
それは「調べの滞り」が生じることです
調べが滞ると、俳句らしくなくなるのです

しかし、過去を回想するような途切れ途切れの記憶を演出するのなら、三段切れは有効です
色あせてしまった過去の思い出と、日に焼けて海へ行ったときの証のある麦わら帽子との親和性がきちんと成立しているのです

しかも「の跡」「の痕」のリフレインと、「う」の音でリズムを取り返しに来ています

これで三段切れの弱点を解消しつつ、三段切れのいい効果を引き出すことに成功しているのです

点数: 8

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