秋めくや坂を歩める杖へ風
回答者 ハオニー
添削した俳句: 秋めいて坂行く杖に風やさし
坂道の手すり、ガードレールでしょうか...?
何が秋めいているのか、それがはっきりと分からないところが課題ですね
風が秋めいているのなら季語と風が離れすぎていますし、坂道が秋めいているのなら「秋めく坂」と繋がないと意味が通りません
一句全体に秋めく雰囲気を出すなら、「秋めくや」と切れ字を入れるのがおすすめです
点数: 1
回答者 ハオニー
添削した俳句: 秋めいて坂行く杖に風やさし
坂道の手すり、ガードレールでしょうか...?
何が秋めいているのか、それがはっきりと分からないところが課題ですね
風が秋めいているのなら季語と風が離れすぎていますし、坂道が秋めいているのなら「秋めく坂」と繋がないと意味が通りません
一句全体に秋めく雰囲気を出すなら、「秋めくや」と切れ字を入れるのがおすすめです
点数: 1
回答者 ハオニー
添削した俳句: ファインダー覗いて掴む秋の月
遠近法を利用した一句ですね
手元のカメラのファインダーから、遥か彼方の月を掴まえるところを描写するあたりが詩的な表現ですね
問題点は「覗いて」と「秋の月」です
ファインダーを覗くと言わなくてもファインダー越しといえば、カメラなどを構えた手元のアップをイメージできます
もうひとつ、「月」は単独で秋の季語です
わざわざ「秋の」とつけるには相当な理由が必要です
「名月」とするのも手ですが、1年に1度の特別な「中秋の名月」のことを言うため、説明にある通りにすると「月」で勝負するしかないなと思いました
備考
あかるし
1.光が射してよく見える
2.色が澄んで華やか
わざわざ字余りにしてまで、遠くの月の見事さを表現したかったのです
点数: 2
回答者 腹井壮
添削した俳句: ファインダー覗いて掴む秋の月
大浦美津子さん、こんにちわ。
掴める筈のない月を掴むと言い切る事が俳句らしくていいですよね。
でも覗くは不用だと思います。
それと月は元々秋の季語なのので「秋の月」は不自然な感じがします。
自分の勉強不足や知識不足でしたらどなたか御指摘を。
名月を掴むシャッターチャンスかな
というのも考えてみました。
句意に近い形になっていれば幸いです。
点数: 5
回答者 ハオニー
添削した俳句: 色なき風一人残りし広き浜
実力がある程度ある人なら、色なき風と来たら「色」の対比を出した句を書きたくなるものです
直接、広き浜→白き浜
と直すことも可能ですが、やはり「色」を直接書かずに読み手に想像させたいところです
手直しをするとなると、外す必要が出てくるのは「残りし」です
「一人」とだけ言えばそこに1名の人物がいることが分かりますから、「残りし」と説明できるほど字数(正確には音数)がありません
簡単にやるなら
色なき風浜へ浜へと行く一人
砂浜の影へ吹きくる色なき風
こんな感じですね
これだと味わいはそこまでありませんから、言葉を詰めていく必要があります
別の対比をやってみましょう
「色なき風」の音にも着目しました
砂浜を踏んで色なき風あたらし
近くの「砂浜を踏む小さな音」と遠くからの「色なき風の強かったり弱かったりする音」で遠近感が出ているはずです
点数: 0
回答者 雨々
添削した俳句: 銀杏を落とすは風の又三郎
新米さん こんにちは^^
メルフェン (^O^)< ステキ )
俳句というと なんだか枯れた句というか侘しさ、寂しさを強調した句が良い句みたいになっているのが
苦手な自分なので メルヘンやミステリーな句は読んでいてわくわくします。
まず イチョウかギンナンか。
ここは風の又三郎が出てくる=宮沢賢治=農業=実り・豊か=イチョウの葉よりギンナン(実)
と詠み手なら受け取りたいところです。
で、『銀杏を落とすは風の又三郎』大好きなのですが、少し勢いを付けてみました。
落としに来たりとすることで 何となく 【どどぅ!】と来た 瞬間の臨場感が出るかと思いまして。
「たり」で一旦切ることにより、詠み手は「ん?何が来た?」と思う 瞬時考えさせる時間も作れます。
そして又三郎さんですが 「風の」を入れられればベストで親切でしょうが 入りませんし、
このシチュエ-ションで又三郎といえば風の又三郎であると 大抵の人は解ると思います。
年末に 三郎 と言ったら北島三郎…的な
いずれにしろ 絵本の様に楽しい句でとても好きです。
ありがとうございました。
点数: 7