「古き司祭神間違ふや初詣」の批評
回答者 ハオニー
添削した俳句: 古き司祭神間違ふや初詣
教会は行ったことがありますハオニーです
間違えて行ったのではなく、自らの意思で行きました
神様を間違えながら初詣に行ったのではなく、初詣で行った先の神様は自らの信仰する神様とは違うよなということなのでしょう
「間違ふ」というニュアンスではないと思います
そしてもうひとつ
「古き」は本当に必要なのかどうか疑っています
3音足りないからと、音数合わせの雰囲気が出ていました
ニュアンスだけは残しつつ
司祭らの神にあらねど初詣
「の」の捉え方ひとつで
司祭らが「我々の信仰する神様ではないけど」と、初詣へ行くとも
キリスト教を信仰する人が「私はキリスト教徒だけど初詣は行くよ」という日本人らしさも表現できるかと思います
このような、川柳っぽくも見える俳句をやるのは正直苦手です
自分の中で上手く行きすぎたと感じていると、周りの評価が怖くなります
点数: 3