俳句添削道場(投句と批評)
長谷機械児さんのランク: 師匠113段 合計点: 456

長谷機械児さんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

歌麿の百鬼絵巻やハロウィーン

回答数 : 3

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初恋の理由林檎に押しつける

回答数 : 5

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おしぼりを両手で受けて今年酒

回答数 : 2

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ごろ寝するパンダ剛毛黄落期

回答数 : 2

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書皮のまま並べる書架や暮の秋

回答数 : 5

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長谷機械児さんの添削

「吉凶のたわわに実る初御籤」の批評

添削した俳句: 吉凶のたわわに実る初御籤

こんにちは。

初神籤はこれから先の一年の吉凶を占うもの、ならば、実にせずに花でたとえた方が…と、一読して思っていましたが、コメントによれば花も考えていたとのこと。

コメントにある「白梅」の句は、「おみくじを結ぶ」動作が無いので、単独では解りにくいか(初神籤の結果(吉凶)そのものを白梅にたとえたようにも読めそう)、とも思いました。

添削案というより花に例える場合の一案として、

 初神籤結びて若枝咲かせけり

よろしくお願いします。

点数: 1

「初開き猪口の底ひの二重丸」の批評

添削した俳句: 初開き猪口の底ひの二重丸

こんにちは。

第14回百年俳句賞の優秀賞おめでとうございます。
連作に手を出されたとなると、次は、俳人のプロフィール欄で目にするような賞を目指されるのでしょうか。

御句については、ヒッチ俳句さん、なおさんと同様に、まず、「底ひ」が気になりました。

奥底、果てといった意味合いの言葉なので、お猪口の底は、「底ひ」というには浅すぎるように感じました。

添削案として、

 初開き猪口の底には二重丸

また、季語「初開き」が「鏡開き」(酒樽の蓋を木槌で割る方の)を連想させてしまって損しているようにも思いましたが、季語の選択については添削の外かと思いましたので、感想だけで。

よろしくお願いします。

点数: 1

「軒下へ瀑布のごとく氷柱垂る」の批評

添削した俳句: 軒下へ瀑布のごとく氷柱垂る

こんにちは。

御句について、下記二点が気になりました。
・助詞「へ」が妥当か。私には「軒下の方へ」といった感じに受け取れましたが。
・動詞「垂る」のダメ押し感。上五中七で既に言い尽くしていると思われます。

この二点に対応する添削案として、

 軒下を瀑布のごとき氷柱かな

よろしくお願いします。

点数: 2

「いちめんの曼珠沙華咲く瀬音かな」の批評

添削した俳句: いちめんの曼珠沙華咲く瀬音かな

こんにちは。

「咲く」とか「瀬音かな」とか、気になる箇所はすでに他の方に挙げられているので
新たな添削はしないでおきます。

コメントにある言葉を使って中七「曼珠沙華」の句を拵えてみました。

 楽しくて曼珠沙華ただ直立す

よろしくお願い致します。

点数: 0

「勝ち負けを超へて称ふるパリの虹」の批評

添削した俳句: 勝ち負けを超へて称ふるパリの虹

こんにちは。

> 二人称の、父や子がある為に誤読が生じやすいと思います、私もルンバが追っかけてるかと…それに、掃除機が目立って
> 夏休みの季語が立っていないようにも…
> (略)
> 誤読を防ぐ為には、なおじいさんの提案句のように、や、できる方がいいと思いました。

(1)「二人称の、父や子がある為に誤読が生じやすい」

「二人称」(続柄のことと思います)の使い方をどうしたところで、作中主体が句の中に登場しているか、景を見ている(回想する)第三者かは、いろいろです。句の中に言及した「父」「母」「子」と主体との関係の正確さも、いろいろです。
Webで検索した「父」「母」「子」の句を挙げておきます。

 残る虫仮寝の母子相抱く/石田波郷 (主体は観察者。「母」(=妻)と子を見ている)
 ねんねこに母子温くしや夕落葉/中村汀女 (主体=「母」)
 稻刈るは父こぐは母這ふは子よ/正岡子規 (主体は観察者あるいは過去の回想か)

(2)「ルンバが追っかけてるかと」

おかえさん以外にもコメントに「ルンバ」が出てきて、「はて、ルンバって何だっけ?」と数秒考えて、「ああ、そういえば世の中にはこんなものもあったのだな」と思い至った次第です。作句時からここに投句してコメントを見るまで、ロボット掃除機という最新鋭の“文明の利器”(未だ実物が稼働している姿を私自身は見たことがない)のことは、まったく脳裏に浮かびませんでした。

ロボット掃除機というものがない世界、「掃除機が勝手に家人を追いかけるわけがない」という前提に立っていないと、確かに私の作句時のようには読まれないのでしょう。これは、仕方の無いところです。

(3)「夏休みの季語が立っていない」

次に、「季語が立つ」という言葉は、私は最近疑っております。以前は解った気になってそんな言い回しも使っていましたが、季語も非季語もフラットに捉える必要があるのではないかと考え始めています(もちろん、季語としてしか存在しない雅語の類は、特別扱いしないことには句として成り立たないことは承知していますが)。

この句は、夏休みあるあるから考え始めた句(発想は類想ど真ん中である自覚の元に作句)なので、句の中心は確実に「夏休」であるつもりです。そして(作句時に想定したマンガみたいな景からすれば)「夏休み」を取り合せ句のように下五に付け足すのは真っ先に捨てるべき形でした。その形は「○○○○、ということがあった夏休みでした」という報告調の絵日記みたいで、元のマンガみたいな景を、輪を掛けて陳腐にしてしまいます。

(4)「誤読を防ぐ為には、」

「誤読を防ぐ」については、改めて防ぐ必要はないかも、とも思っています。意外と、誤読によって入選となった句もあるのではないか、とも感じているので。むしろ、景をはっきり示しすぎると言葉をつまらなくさせるとも感じます。
また、誤読を防ぐためにすべきことは、切れ字「や」よりも、読みから「ルンバ」を除外する補助線のような表現なのでしょうが…、ちょっとすぐには思いつきません。

    *    *    *    *    *

御句についてもコメントしたいところですが…。

私は、パリ五輪のテレビ放送をトータル5分も見ておらず、パリ五輪の出場選手に対する共感をそもそも備えていないので、内容にはあまり言及出来ません。

ただ、季語「虹」に称賛を期待するなら、命令形もよいかも、とは思いました。

 勝ち負けを超えて称へよパリの虹

よろしくお願いします。

点数: 1

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