俳句添削道場(投句と批評)
なおさんのランク: 師匠2845段 合計点: 8,652

なおさんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

若き日の父母の座す花野かな

回答数 : 11

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ひよつこりとビルの影から運動会

回答数 : 16

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ネクタイを忘れて十月始まりぬ

回答数 : 13

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解除後も差し向かひなり窓の月

回答数 : 13

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瑠璃立羽枯葉のごとき秋の蝶

回答数 : 11

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なおさんの添削

「遠浅に吾子を探すや雲の峰」の批評

添削した俳句: 遠浅に吾子を探すや雲の峰

ネギさん、こんにちは。
拙句「酔って寄る」にコメント有難うございました。私は普段からしゃべりますよ(笑)!それが仕事の一部でもあり。

さて御句拝読しました。ゆきえさんもおっしゃっていますが、雲の峰は、明るく爽やかな印象の季語です。
緊迫感ならやはり雷雲、と思っていましたが、先を越されましたので(笑)、私は、

・黒南風や吾子は何処に宵の浜

下五の宵の浜は無理矢理くっつけました。よろしくお願いします。

点数: 1

「男衆しづかにたたむヨットの帆」の批評

添削した俳句: 男衆しづかにたたむヨットの帆

あらちゃんさん、こんにちは。
拙句「酔って寄る」にコメントおよびご提案句を有難うございました!
途中に「や」が入っていますから、酔ひて、ですね。

しかしそれにしても、皆さん、娘の店となれば酔わなければ寄れないとおっしゃっていますね。
あらちゃんさんもそう思われますか?そもそも、娘の店って、なんだと思われます?どこかで飲んでから行っても空いているようなお店ということは、ブティックのような小売店舗ではないですね。するとやはり飲食店。あらちゃん含めて、皆さん、どんなお店を想像なさったか、そして私が入っていって時の娘の表情やなんて言ったかとか聞いてみたいです(笑)!
いや、それ以前に、ここに娘はいたのか、いなかったのか?

長々とすみません!

御句拝読しました。いい句ですねー。初読では、男衆という措辞は、味のある言葉なのですが、ヨットというよりニシン漁の船のようなイメージがしました。北島三郎とか鳥羽一郎とかのような。ヨットだと、石原裕次郎か加山雄三が出てきて、男衆というよりボーイズとか青年たち、という感じかなぁ、と思いました。
でも、それでは類想の沼ですし、素晴らしいヨットを操っていたのが、いかにも男衆という感じの海の男たち。その彼らがいまは、静かに帆をたたんでいる。そのギャップが面白いのだと思いました。
当然このままいただきます。
今後ともよろしくお願いします。

点数: 1

「ひかめいて女神も出づる泉かな」の批評

添削した俳句: ひかめいて女神も出づる泉かな

小沼天道さん、こんにちは。
再訪です。
お礼返信コメント有難うございました。
天道さんの余談のほうについてですが、

・斧一丁投げ入れてみる泉かな
・我が斧を試しに落とす泉かな

こんな感じでしょうか?
さて、どうなるのでしょう?

点数: 0

「夏至の日や部活帰りの二人乗り」の批評

添削した俳句: 夏至の日や部活帰りの二人乗り

るるさん、こんにちは。
御句拝読しました。いい感じの句ですねー。
男女どちらのご友人の後ろに乗せてもらったかは、あえてお聞きしないことにしましょう(笑)。

「や」に馴染めないとのこと、とてもよくわかります。日常で使わないですものね。
でも、疑問に思っていただいて良かったです。四音で字足らずだから「や」でも付けて俳句っぽくするか、とか思われたら、ちょっとね。
御句は、夏至の日の、とかでも悪くないですが、そうなりますと、日時や気候を説明する措辞のように読めてしまう恐れがあります。

それはそれとして、私は、「夏至の日」という言い方のほうが、気になるのですよ。
夏至というのは、一年で昼が一番長い日、という意味ですよね。そうなると、「夏至の日」というのは、いわゆる「頭痛が痛い」「お腹が満腹」みたいな重複表現になるのではないかと。
そこで、

・夏至の午後部活帰りの二人乗り
・今日は夏至部活帰りの二人乗り

などが思い浮かびました。
「前半で言っていた「や」の理論と違うじゃない!」と言われそうです…。ごめんなさいね、私は提案句のような感じ、好きなのです。

勝手を言ってすみません、よろしくお願いします!

点数: 1

「お花見に母の命日間に合わず」の批評

添削した俳句: お花見に母の命日間に合わず

砂川恵さん、こんにちは。
御句拝読しました。ちょうど今年の桜の咲くころ、似たような句をご投稿なさいましたね。
その時にコメントした者として、再度コメントさせていただきます。

何より明確にしておきたいのは、「命日」というのは、その人の亡くなった日のことです。例えば巨人の長嶋茂雄さんの場合は、2025年6月3日(だけ)であり、毎年巡ってくるものではありません。毎年の同じ月日のは祥月命日といいます。
それからしますと、御句は、お母さんは桜の咲くのを見ることができずに亡くなった(花見に間に合わなかった)ということで、なんとか辻褄が合わないこともないのですが、どうも、花見の予定とお母様のご逝去が同列に扱われている、しかも、大切なお花見の予定に母親が遅刻したみたいに取られかねない構成には、ちょっと疑問を感じ得ないものがあります。

私は、前句でもご提案申し上げた、

・命日や桜待てずに逝きし母

を再度提案します。
よろしくお願いします。

点数: 0

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