俳句添削道場(投句と批評)
イサクさんのランク: 師匠2404段 合計点: 7,331

イサクさんの俳句添削依頼

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返り花添いて祠に菩薩像

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我が友と鷹鳩となり二人酒

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空席に向かひて治部煮ひとり食む

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山眠りゆるり哨務か常盤の木

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白天の月光微か霜の降る

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イサクさんの添削

「初雷に濡るるあしもと今ひかり」の批評

添削した俳句: 初雷に濡るるあしもと今ひかり

おはようございます。はじめまして。

句の方、形もできておりますし、雰囲気も悪くありません。

読んでいて「初雷に濡るる足元」とつながって見えるのが損していると思います。「初雷(音と光の現象)に濡れた」という不思議な文章ができていて、意味を戸惑います。

句の意味は推測できます。「初雷の鳴る前から雨が降って、地面や足元が濡れていた」ということだと思います。
ですが、「初雷に」の直後に「濡るる」という現在形の動詞が入ってしまったので、「初雷に濡れる」という変なつながりが見えて来るのだと思います。

理由がわかってますので、対策はあります。
とりあえずふたつ思いつきました。

1.入れ子になっている語順をやめて、時間通りの語順にする。
 この句は本来、雨⇒濡れている⇒雷⇒光る、という時間経過ですよね。その順序どおりにします。

・濡るる足いま初雷に光りけり

2.「に」をやめて俳句のテクニック「切れ」を入れれば、「雷」と「濡れる」という動詞が直接つながらなくなるので、違和感が少しは減るかと思います。

・初雷や濡るる足元いま光り

上記の私の提案の2句も、まだ推敲の余地はあります。
いろいろ考えてみてください。

点数: 0

「蝶の翅たたみて遠し母のこゑ」の批評

添削した俳句: 蝶の翅たたみて遠し母のこゑ

こんばんは。

御句の場合、
「蝶の翅たたみて」までが蝶の描写、
「遠い」のは「母の声」だと受け取るのが普通だと思います。
ので、私も連体形で「遠き母の声」の形の方がよいと思います。

終止形で切れを入れる手法、蝶の羽を「遠い」と思わせる手法もなくはないですけれど、「て」で軽い切れがあるため、「遠し」だけがやや浮くんですよね・・

点数: 1

「頬濡らす春の吹雪に群青染む」の批評

添削した俳句: 頬濡らす春の吹雪に群青染む

こんばんは。はじめまして。初心者様ですね。

残念ながら、俳句初心者様によくありがちな、非常にわかりにくい俳句になってしまっています。

◆「春」「吹雪」と季語がふたつ入っていますので、おかしなことになっています。
 これはもしかして桜が風で舞い散る様子の「桜吹雪」のことでしょうか?
 もしそうでしたら、「花吹雪」「桜吹雪」という季語を使った方がよいと思います。

◆上五「頬濡らす」下五「群青染む」の意味が、よくわかりません。
 日本語としてはわかりますが、「なんで頬が濡れたの?」「群青がなぜ、どこに染みたの?」という疑問が出たままになります。
 比喩が多すぎて意味がわからない、というのは初心者様によくあるあるあるです。

以下推測ですが、
おそらく「頬濡らす」は「涙」を遠回しに言っているのだと思いますが、中七に「吹雪」という単語があるせいで「雪が解けたのかなあ?」という想像も払拭できず。
「群青染む」の方は全くわかりません。コメントを読んで「学生服に何かが染みているのかなあ・・・?」という推測をした上で、
上五「頬濡らす」から「涙が染みる」と言いたいのか?、あるいは中七「吹雪」があるので「雪が解けて滲みこむ」と言いたいのか?それとも「吹雪そのものが染みこむ」と言いたいのか?など、読者が勝手に想像はできますが、推測の域を出ません。

俳句は十七音と短い中で、季語の力を借りて、読者の頭の中に風景を想像させて感動させる「詩」です。十七音しかないので、遠回しに言うのは全て意味がわからなくなり「正解の出ない連想ゲーム」になりがちです。

まずは、季語と、事実の映像を組み立てて、十七音を作って見ることをお勧めします。
上記の推測をすべて正解だとみなした上で、提案の句を置きます。

・制服に染みる涙や花吹雪

こんな感じになります。
もし句の意味が違っていたら、その意味を教えていただければ・・・

点数: 1

「この街はかくも桜の多かりき」の批評

添削した俳句: この街はかくも桜の多かりき

こんばんは。

◆指示語「この」と、半分指示語である「かくも」(意味は「このようにも」)の二か所に指示語があります。その分、句の中に出せている映像情報が減っているのですが、
 特に上五の「この街」の「この」が、映像がない指示語ですので、映像を結べず損をしているようにも感じます。
 (「かくも」は感情が乗るのでまだ気になりにくいです)

 作者の頭の中にある「この街」はどんな街なのか、それを少しでも出せると良いと思いました。

◆最初の「犬ふぐり」の句とある程度似た理由、ある程度別の理由で、この句も季語の入れ替わりやすい形の句です。
 「この街はかくも躑躅の多かりき」
 「この街はかくも山茶花多かりき」
 「この街はかくも落葉の多かりき」
 原因は「この街」「かくも」などの指示語が多く、「桜」という肝心の映像季語に気持ちが寄っていないからだと思います。

◆先に出ていますが「多かりき」は過去形になっています。過去形にした意図はあるんでしょうかね・・?意味的には、過去継続の意味で「こんなのも多かったのだ」ともとれるので、絶対ダメな形ではないとは思いますが、意図的でないならご注意です。
たとえば有名な短詩。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき/林芙美子」
この短詩は花(自分)の体験を書いているので「多かったのだよ」と過去形になっているわけですが。

提案句は、どちらかといえば季語を愛する方向で・・

・これほどの桜の街に住みにけり

点数: 1

「教科書に名前を書くやチューリップ」の批評

添削した俳句: 教科書に名前を書くやチューリップ

こんにちは。

先に、気にされている「季語の遠い近い」です。
「取り合わせの句」だとしたら、まず初手の距離感はこのぐらいでよいと思います。

慈雨様とかぶりますが、
季語が近い場合というのは、
「季語が、季語以外の部分の理由として使われてそう(季語で説明)」
「季語がその他の部分の比喩として選ばれていそう(季語で比喩)」
「季語と他の部分で意味がかぶっていそう(意味の重複)」
「想像できる範囲の季語で、感動がない(連想の範囲内)」
など、損する理由多くあるのですが、「チューリップ」なら上記はあまり当てはまらなさそうです。

遠いのは
「季語と季語以外の部分と同時に存在した場合、意味がわからなすぎる」
という点に気を付ければ、「遠すぎる」ということは少ないのではないかと思います。(慈雨様の「潮干狩り」は遠い例としては絶品だと思います)

なので、他の植物については

・教科書に記す名前やチューリップ
・教科書に記す名前や黄水仙
・教科書に記す名前やサイネリア
・教科書に記す名前やクロッカス

このあたりの鉢植え・花壇っぽい鑑賞用植物の花の季語は、同じように合うと感じますし、似た風景になりますね。
(後出しですが、この句の内容なら中七名詞で切りたいところです)

・教科書に記す名前や桜満つ
・教科書に記す名前や風信子

桜はさすがに近い気がしますよね。
ヒヤシンスではなく「風信子」表記にした場合、私は近さを感じます。「子」の一文字が入っているからでしょうか?

・教科書に記す名前や花馬酔木

馬酔木は遠い近いよりも「なぜこの花を選んだのか?」という疑問を読者各々で解決する必要がありそうです。

・教科書に記す名前や花大根

これだとまた風景が変わります。畑のそばに住んでいる農家さんかも?

という感じです。いろいろ試してみてください。

点数: 1

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