悪夢狩り
作者 花太郎 得点 : 1 投稿日時:
A県A市、人口数万人が暮らすとある一つの高校で奇妙な噂が広がっていた。『夢の中で死ぬと現実でも死ぬ』そんな話が実しやかに囁かれていた。実際、A市ではここ一ヶ月に渡って不審死が相次ぎ、それは年端もいかない高校生が主な被害者だった。もちろんこの高校に通う学生達も例外では無く、ここ一、二週間で眠っている間に心臓麻痺等の理由で亡くなった生徒が四名。A市全体ではおよそ、十名前後の方々が眠っている間に様々な理由で不審死を遂げている。
夢の中で殺されそうになったと言う学生や、夢の中で誰かが殺されたのを見たという人まで現れる始末。これは呪いだという奴も入れば、連続殺人鬼が眠っている間に殺したんだと噂する人もいる。連日ニュースで不審死の報道がなされる度に、A市に住む高校生達は戦々恐々としていた。
そんな中で一人、悪夢から逃げ延びたと自ら主張する男子高校生がいた。
その彼が言うには昨日の晩ーー
そこら中から生臭い匂いがする。そこは見知らぬ場所で、薄暗いのに周りの様子はハッキリと確認出来た。例えるなら、自分を取り囲む壁や天井が全て赤黒く、まるで生きた動物の内臓のように生暖かく濡れている。足を踏みしめ、壁に手をつく度に生きてる動物の内臓に触れているかのような、踏みつけているかのような気色の悪い感触が脳髄を駆け巡った。
いつからここに自分がいて、どうしてこんな場所を歩いているのか皆目検討がつかないが、少年はパジャマのまま唯ひたすら出口を求めて、まるで迷宮のような気持ちの悪い肉塊で出来た道を歩き続ける。非現実的な光景なのに生臭い匂い、感触、足を踏みしめる度に鳴る気色の悪い音は非常にリアルで、少年は最初ここが現実の世界なんだと疑いすらしなかった。ここが夢の中だと気が付いたのは、五分ほど歩き続けてからだ。
急に頭がはっきりと冴えてきて、ここがあまりにも非現実的な場所だと気がつく。少年はここが夢の中なのではないかと疑うと、確かめるために自分の頬を思いっきりつねった。
「痛っ……!」
少年は驚いた。頬をつねるとしっかり痛みがあり、頬が熱を持って赤くなる感覚まであったからだ。少年は夢の筈なのに、現実なわけがないのにと心の中で呟く。だが、体の感覚や頬から感じるジンジンとした痛みは、今見て感じている物全てがリアルだと少年に訴えかけていた。
呼吸が苦しくなる、少年は全身を駆け抜ける怖気にいてもたってもいられなくなった。何処かに出口がある筈だと走り出す。兎に角、ここから出なくてはと少年は焦っていた。何か、とてつもなく嫌なことが起きる予感がしたからだ。
少年の予感はすぐに的中する。より一層、生臭さがキツくなってくると今度は鼻の奥を血の匂いがツーンと、通り抜けていく感覚がした。鉄をすり潰した様な、不気味な香りが辺りに充満する。気色の悪い壁に囲まれた道は真っ直ぐ一本道で、先が見えなくなるまで続いている。焦る少年をさらに急かすかのように、背後から奇妙な音が聞こえた。
その音に思わず少年が振り向くと、歩いてきた道の先から何か人影の様なものが見えた。薄暗くてよく見えないが、人間の手の様なものが見える。一瞬、自分以外に誰かいるのかと期待したが、それはすぐに絶望へと変わった。
なぜならそれは、無数の人間の腕から先だけが絡み合って、蜘蛛の様な見た目になっている『何か』だったからだ。それが動くたびに、ぺたぺたと手のひらを濡れた壁に押しつけた様な音と、爪が壁に当たって引っ掻いた様な甲高い音がする。そのおどろおどろしい姿をした『何か』は、ゆっくりと人間の手を蜘蛛の足のように動かして少年の方に向かっていた。
息が詰まる。全身の血の気が引き、ガタガタと膝が震え出した。奥歯がカチカチと鳴ると同時に、全身の毛が逆立っていくのを感じる。本能が今すぐ逃げろと少年に警告した。次の瞬間、少年は無意識に走り出していた。
少年は肺から空気を全て吐き出したかの如く、大声で叫び声を上げた。今までにないほど心拍数が上昇すると、全力で腕を振り足を前へと動かした。出来るだけ先へ、一刻も早くあの悍ましい化け物から逃げなくてはと、少年は目に涙を浮かべながら脇目もふらず一心不乱に走っていく。
少年の叫び声に刺激されたのか、『何か』は獲物を見つけた捕食者の様に無数の腕を動かし、信じられない速さで少年を追いかける。さながら、巨大な蜘蛛が獲物を見つけて追いかけているかのようだ。
ひたすら一本道を走り続けると、少しひらけた空間に出た。四方を壁に囲まれた教室ほどの大きさの、何もない空間だ。そして、奥に一本だけ梯子がポツンと置かれている。その梯子は外に通じる出口に繋がっているようで、少年は息を切らしながら飛びつくように梯子へと向かった。そして祈るように梯子に手をかけると、ひたすら上に向かって登り始めた。早く早くと気持ちが焦るが、体が思う様に動かない。さっきまで全速力で走り抜けてきたのに、今度は梯子を使って上に登らなければならないので、体がついていかないのだ。
少年が一段一段梯子に手をかける度、足をかける度錆びた金属が軋むような音がする。今にも折れそうな梯子に向かって少年は祈った、頼むから折れないでくれと。その祈りは、出口まであと一歩というところで砕かれる。
右手に掴んだ梯子の一部が折れ、少年がバランスを崩すとドミノ倒しのように梯子が次々に折れていく。出口から漏れる一筋の光が、無常にも少年の頭上から遠ざかり、代わりに生臭く赤黒い地面に向かって少年は落ちていく。背中から落ちた少年は痛みにうめき声を上げながら、ゆっくりと起き上がる。さっき自分の走ってきた道から何かがやってくる音が聞こえてきた。
少年は過呼吸気味になりながら、何とか冷静を保とうと辺りを見渡してみる。しかし、周りにあるのは赤黒い肉の壁だけで、折れた梯子が唯一の出口に通じる道だと分かると、恐怖で嗚咽が止まらなくなった。
狭い通路から『何か』がぬるりと現れる。華奢で爪の長い女性の手、筋骨隆々な男性の手、病弱そうな青白い手、老人の様に皺だらけな手。様々な手が絡み合って、一つの生き物の様に動いている。所々皮膚が裂け、肉が見えている部分もある。『何か』が少年を見つけると、一直線に少年目掛けて襲いかかってきた。
「く、来るな! 来るなぁぁぁぁぁぁぁ!」
少年は目一杯声を張り上げた。しかし、無数の手は少年に近づくと一斉に掴みかかり、万力の様に締め上げた。痛みと息苦しさと恐怖で、少年は泣き叫ぶ。ずるずると少年は『何か』の中心にまで引き摺り込まれた。そして大きな口の様な穴が、少年を飲み込もうとする。
その時、何かが裂けたような音が辺りに木霊する。どうやら、肉の壁の一部が何者かによって引き裂かれたみたいで、誰かが引き裂かれた壁の隙間からこちらにやってきたようだった。
「た、助けて……」
少年は一縷の望みをかけて姿の見えない何者かに、助けを乞う。そんな少年を知ってか知らずか、壁の内側からやってきた何者が、今まさに得体の知れない『何か』が少年を食べようとしているところを、邪魔する様に言った。
「悪夢を狩りに来たぞ」
手に二丁の銃を持ち、大きめの鍔が広い帽子を被り、顔の下半分を黒い布切れの様なもので覆い、全身黒のまるで修道士の様な格好をした身長百九十センチはありそうな大男が、仁王立ちで立っていた。その大男は銃を一発、得体の知れない『何か』に落ち込むと『何か』は悲鳴様な鳴き声を上げながらのたうち回る。
少年は化け物から解放され、事なきを得た。放心しながら少年は呆然としている。大男は尚も化け物に向かって、銃を撃ち続ける。『何か』は恨めしそうに叫び声を上げてのたうち回ると、今度は大男に反撃しようと襲いかかってきた。それを大男は華麗に躱すと、札の様なものを『何か』に貼り付けた。続いてさらに銃を空になるまで撃ち込むと、両手に持った銃を捨て背中にぶら下げた大太刀を引き抜く。
化け物は一際大きな叫び声を上げて、大男に襲いかかってきた。無数の手を伸ばしながら、大男に覆い被さるように飛びかかったのだ。その瞬間大男が、指を鳴らすと貼り付けた札が燃え上がり寸前の所で『何か』は大男に攻撃を躱される。炎に焼かれ、『何か』は苦しそうに叫び声を上げると無数の腕をバタつかせた。
大男は小声で何か、呪文の様なものを唱えると大太刀を構えた。すると、辺りから地響きが鳴り肉の壁がどんどん迫って、空間を狭くしていく。化け物は大男に一矢報いようと、再び大きく飛びかかってきた。それを待っていたかのように大男は大太刀を構え、目の前に迫ってきた瞬間に横一線に薙ぎ払った。『何か』は一刀両断され、真ん中から綺麗に輪切りになり大男の後ろへと勢いそのまま吹っ飛んでいく。ビクッと二回ほど痙攣したかと思えば、沈黙し息絶えた。
大男は大太刀をくるりと回転させ華麗に背中の鞘へと仕舞うと、一仕事終えたかの様に首の骨を鳴らしながら、何処かへ行こうとする。それに対して、少年が慌てて大男を引き止めるように言った。
「助けてくれて、ありがとうございました……あ、あの僕も連れて行ってください! ここから出たいんです」
すると大男はこう言った。
「心配しなくても、もうすぐ目覚めるだろう。その証拠に夢が崩れて来ている」
実際気味の悪い壁や天井は音を立てて歪み、どんどん崩れていっていた。心配する少年を尻目に大男はそそくさと自分がやって来る時に壊した壁の穴に入って行こうとする。その様子に少年は大男を再度引き止めるように慌てて質問した。
「貴方は……一体誰なんですか?」
その質問に大男は一言だけ、少年に向かって言う。
「悪夢狩りだ」
少年は目が覚めると、そこはいつもの見慣れた自分の部屋で、いつもと変わらない日常がいつも通り流れていた。ただ、汗でびしょ濡れになった背中とベッドだけが、確かに恐ろしい悪夢を見たのだと裏付けている。