幻燈街の飴売りの第2話 全6話で完結
幻燈街の飴売りの第2話
作者 まだあたたかい 得点 : 2 投稿日時:
かつては自分も舞台の花としてもてはやされた時があった。あの父の名声にも届こうかという人気が。
「あの頃に戻りたいな……」
しかし、それは叶わないこと。かつて手にしていたものの全ては、あの時に失なってしまったのだ。嘆いていても戻らない。今の自分には、この飴とチラシを配ることこそが「舞台」なのだ。
だが。
「はあ……」
大通りに背を向け、深いため息を一つつく。
このまま、おばあさんになるまで飴とチラシを持って通りを歩くのだろうか。それが、あたしの未来なのか。
ああ、なぜ神様はこうも残酷なのだろう。
次のため息をつこうと息を大きく吸ったその時、足元に何かもこもこと柔らかいものが当たった。
「何?」
「にゃ」
見下ろせば、やせた仔猫がまとわりついている。
「ネコか……」
「にゃ」
もとは真っ白な仔猫だったのだろう。今は薄汚れて、ところどころ薄茶色に見える。
「にゃ」
「ねだられたって、何もないよ」
やせた仔猫。きらびやかな大通りにまったくそぐわぬその風体。どうやって暮らしているのか。
「そうだ」
ポケットに、ランチの残りのチーズがひとかけらあることを思い出した。
スカートのポケットに手をいれて、油紙に包まれたチーズのカケラを探り当てる。
「ほら」
「にゃ」
ほんのひとかけら。それでも仔猫はがつがつと食べ、次をよこせと鳴く。
「にゃ」
「もうないよ」
空の油紙をひらひらさせるが、仔猫は動こうとしない。
「にゃ」
「他の、もっと優しい人を探しなよ」
これ以上あげられる物はないし、もちろん飼うことなどできない。すでにこうやってビラ配りしか能のない娘がいるというのに、これ以上居候を増やしてくれなどと父に頼めるはずもなかった。
「にゃ」
仔猫は立ち去らない。
しかし放置していけばこの子はどうなるのか。
そして。
あたしはこの先、いったいどうなるのか。
どうにもできない。きっと何者でもないあたしには未来を創るなんてことできないのだ。涙がこみあげてくる。
「お嬢さん」
背後から声がかかった。
あわてて涙を払って、作り物の笑顔で振り返る。
「はい、なんでしょう!」
そこに居たのは上等な衣服に身を包んだ紳士。背の高い紳士だ。上も下も黒づくめで、ところどころ赤と金の刺繍による複雑な模様が入っていた。黒づくめとは、神父さんだろうか。いや、神父にしては奇妙な感じ。
「そのチラシを一枚頂きたい」
「はい! ありがとうございます」
珍しい人もいたものだ。どうぞ、とチラシを渡す瞬間、目があった。
端正な顔つき、丁寧に手入れされた黒髪。
そして瞳。
黒い瞳。
どこまでも昏い闇の瞳。
それは普通であって普通ではない。
その瞳を有希子は知っている。こんな春先、魚市場で稀に見かける魚の目。深い深い海の底から釣り上げられる希少な魚の目が、こんな色をしていた。
「その飴も貰おうか。代金はこれでいいかね」
返事ができなかった。その瞳に射すくめられたまま、動けない。半開きの口は呼吸を止めている。
一陣の風が吹き抜ける。
「にゃ」
仔猫が鳴く。
はっ、と我に返ってみると、すでに紳士の姿は消えていた。
気が付けば手のひらには金貨が一枚置かれている。
飴の代金とするには考えられない金額だ。
「か、返さなきゃ」
通りを探し回ったが、もうそれきり、その奇妙な紳士の背中を見つけることはできなかった。