アドバルーンへ父と上らむカブ駆って
回答者 よし造
拙句 俳句は現在が基本ですから、そう指摘されると困ります。
御句・・・アドバルーンの下に行くのでは面白くないので子供らしい空想で一句。
分からなかったのでちょっと調べましたが、アドバルーンを季語としている例は見つかりませんでした。7・7・5です。
点数: 1
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作者 負乗 投稿日
回答者 よし造
拙句 俳句は現在が基本ですから、そう指摘されると困ります。
御句・・・アドバルーンの下に行くのでは面白くないので子供らしい空想で一句。
分からなかったのでちょっと調べましたが、アドバルーンを季語としている例は見つかりませんでした。7・7・5です。
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回答者 秋沙美 洋
負乗さん、こんにちは。
先日イサクさんの句にもコメントを残したのですが、アドバルーンを風船の傍題的な季語として扱うのは無理があるのではないか。というのが僕の意見です。
風船が季語として歳時記に載り始めた頃、風船といえば我々のよく知るゴム風船よりも、紙風船の方がメジャーだったようです。
紙にしろゴムにしろ、うららかな空へ投げたり浮かべたりする風船に、昔の人は春らしさを感じたのではないでしょうか。
その過程で、玩具の風船が春の季語として定着したのだと考えます。
一方アドバルーンは百貨店やデパートなど販売店の都合で揚げられます。クリスマスセール、歳末セール、新春セール、ボーナスセールなどなど。
一年を通して何かしらの機会で揚げられるアドバルーンに、季語としての力があるか無いか。僕は無いと思います。
もちろん玩具の風船だって一年を通して遊ばれます。ですが冬の寒々しい空に上がる風船より、春の澄み渡る青空に浮かぶ風船の方が、より似合う感じがしませんか。
以上は俳句の先生でも研究者でもない、僕の個人的な意見です。こんな意見もあるのか、くらいにお受け止め下さい。
前置きが大変長くなりました。ひとまず作者の意見を尊重し、季語風船の句として読んでみます。
やはり非常に気になるのが「元へまで」ですね。
助詞「〜へ」には、対象へ向かっていくという意味が含まれます。「〜まで」も、アドバルーン「まで行く」というニュアンスですね。
つまり御句に使われている「へ」「まで」は、ほぼ同じ意味を持った言葉になるわけです。
「元へまで」は、日本語としてだいぶ奇妙と言わざるを得ません。
カブについて。1人用の50ccのカブは乗った事があるのですが、二人乗り出来るカブもあるというのを調べて初めて知りました。
原句ですと、2台のカブで父と並走しているようにも見えてしまいます。この辺りは直したいですね。
以上を踏まえて添削句としてみました。上五字余りのため、音数調整のため勝手にクロスカブとした事ご了承下さい。
点数: 1
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回答者 イサク
こんにちは。
自分の句は棚に上げますが、アドバルーンは季語にならない・・・は同意です。
「元へまで」は私の知らない特殊な日本語かとも思いましたが「元へ」「まで」でよいのでしょうか?それですと日本語として厳しいかと。
あと、さりげなく「アドバルーン」「父」「二人乗り」「カブ」と要素が多く、全て情報を入れるのは無季のままでも大変ですね。
点数: 1
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
アドバルーンは春の季語でいいですよね…
ごく幼い頃の記憶です。カブとは、もちろんあのホンダスーパーカブです。