「今日までは馬怠けたる三日かな」の批評
回答者 いなだはまち
イサクさん
おけましておめでたうございます。
七日まで毎日「馬の句」を期待してゐます。
丑年ですので「牛の句」がよかつたなあ~。笑ひ
点数: 1
添削のお礼として、いなだはまちさんの俳句の感想を書いてください >>
作者 イサク 投稿日
回答者 いなだはまち
イサクさん
おけましておめでたうございます。
七日まで毎日「馬の句」を期待してゐます。
丑年ですので「牛の句」がよかつたなあ~。笑ひ
点数: 1
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回答者 秋沙美 洋
イサクさん、こんにちは。
御句読ませて頂きました。
前の馬の句よりこちらが良いと思います。以下その理由を述べます。
「人も馬も行き来の少な二日かな」の句では、静けさに満ちた正月の時間・空間に焦点が当たっています。そこに「馬も人も」という措辞は、普段から馬も人も往来する場所って??と腑に落ちない感覚が先に来ます。少なくとも僕は。
一方で揚句は「正月に馬が怠けている」という馬の動作に焦点が当たっています。あー正月休みで馬もダラけているんだな、という面白味があり、俳句としての新鮮さを感じました。
空想がダメだとは決して思いません。仮に雪女が句に登場したとしても、雪女の気配や息遣いというものを「本当に雪女がいるかのような」リアリティで読者に伝える事が出来れば、それは十分にアリだと考えます。
同様に、普段の生活で馬を見る機会が全く無くても、句の中に息づく馬の姿を読者に想像させる事が出来れば、それは良い俳句なのではないかなと。
以上はあくまで僕の考えです。見たままを写生する事こそ俳句だという考えもありますが、もちろんそれも一つの信情として尊重しています。
点数: 1
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回答者 近江
始めまして
私の句への批評を拝読いたしました。
又添削句を頂きありがとうございます。
御句を拝読いたしました。
もう三日、正月も終わり私も馬の気分同じ
そして中山道の宿場の風景が目に浮かびました
点数: 1
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回答者 近江
始めまして
私の句への批評を拝読いたしました。
又添削句を頂きありがとうございます。
御句を拝読いたしました。
もう三日、正月も終わり私も馬の気分と同じ
そして中山道の宿場の風景が目に浮かびました。
点数: 0
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回答者 近江
始めまして
私の句への批評を拝読いたしました。
又添削句を頂きありがとうございます。
御句を拝読いたしました。
もう三日、正月も終わり私も馬の気分同じ
そして中山道の宿場の風景が目に浮かびました
点数: 0
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回答者 近江
始めまして
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もう三日、正月も終わり私も馬の気分同じ
そして中山道の宿場の風景が目に浮かびました
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
前の句もそうですが、馬がいなくても馬を詠みます。もちろん意味はあります。
狐火や雪女や龍田姫、見たことがなくても詠みますよね?