「すみれ色のパンジー達憂い顔」の批評
白梅さん、頓、再々訪です。
早速にて…。
改めて、先程は、誠に以って、申し訳ございませんでしたm(_ _)m。
さて、御句、「すみれ色」という言葉がパンジーを修飾しているだけなので、今回も、前回同様に、季重なりの問題はない、と思います(私が申し上げでも、あまり説得力はございませんが…。)。
ただ、前回は、思い至りませんでしたが、パンジーの和名は三色菫であり、菫色(紫)はパンジーの代表的な色…。
だとすれば、「すみれ色の」との措辞を付け加えるのは、パンジーの特徴をそのまま描写した「説明」と受け取られるリスクがあります。
また、あらちゃんさんが、既に仰せですが、「パンジー達」の「達」も説明的と思われます。「達」は人間や動物などの「複数を表す接尾辞」であるため、これを使うだけで植物を人に見立てる擬人化となります。
更に、後に続く「憂い顔」も擬人化表現であるため、御句は、全般的に、「パンジーを人間に例えて説明する」という、言い換えれば、作者の主観となってしまい、読者が情景を想像する余白が、失われる要因ともなりそうです。
「たくさんあること」を「〜達」という言葉で説明するのではなく、描写によって表現するのが、俳句
である、ということらしいです(私も改めて、諸々調べまくり、勉強させて頂きましたm(_ _)m。)。
蘊蓄ばかり申し上げてしまい、申し訳ございませんm(_ _)m。
以上の観点から、御句を踏まえつつ、再度、私も詠ませて頂きました。
《パンジーや影重なれる憂ひ顔》
何句か作句した、私目の最終の参考句です。御句の「憂い顔」、上五をや切りしておりますので、「憂ひ顔」として、何とか残せました…。「憂ひ顔」の背景に「影の重なれる」として、中七に起きました。「重なれる」で「達」も表現した「つもり」ですが…。
何らかの参考になりますれば幸甚です。
イヤー、普段偉そうなことを言いながら、未だ未だ、己の勉強不足を痛感致しました汗;
以上、失礼仕りますm(_ _)m。
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前句の読み直しです。
あらちゃん様より、菫色をのぞいても、季語三つありますとのご指摘。
あちゃあ(>_<) やってもうた。
菫色は色なので、季語じゃないかとは考えましたが、まずこれが
怪しい。「すみれ」は当然春の季語。
季語に持ってきたつもりの「春愁」の春、
そして「花壇」が秋の季語とは。(*ノωノ)
季語みっつプラス限りなく季語ひとつ。
大変、失礼をいたしました<(_ _)>
やはり自分は実景しか難しかったか?
実は今年の花壇のパンジーは普通の三色すみれ。
私は園芸記録も写真付きで書いておりましたので、
過去の自分の写真を見て思いついたのです(^^;)
これってヤブヘビか。
でも勉強になりました。
知らずにいることの方が怖いですから。