「逝く日在りされど今降る牡丹雪」の批評
あらちゃんさん、頓、再訪です!
ご丁寧な返信、有難うございますm(_ _)m。
さて、「これがあるからこそ生きてくる句です。」とのこと…。
作者コメントには、「のだが」とは示されていませんでしたが…。
ご下命に従いまして、御句、何度も読み返しをさせて頂きました。
仮に「のだが」が示されていたとしても、「されど」は論理的な逆接の接続かと思います。
この措辞を使うと「死はあるが、しかし今は雪だ」という説明的な「理」が強くなり過ぎて、「余韻」や「情緒」が削がれてしまうように、私は感じた次第であります。
「されど」を外すことで、御句は、作者の「主張」から、何方かのお好きな言葉である「詩」へと昇華されるように思ったのであります。
死を否定も肯定もせず、ただ静かに受け入れた上での「今」を描写して、「されど」の接続に頼らないのが佳い、と思いますがなぁ…。
以上は、作者コメントの句意を前提にしての、私の思いでありますので、為念ながら…。
口説くてすみませんm(_ _)m。
所謂「ケチ」をつけている訳ではございません。御句を「佳句」と思うからこそですので、くれぐれも誤解なきように願いますm(_ _)m。
低能力者の、あくまでも「個人の感想(笑)、とお捨て置き願いますm(_ _)m。
以上、失礼仕りましたm(_ _)m。
添削のお礼として、頓さんの俳句の感想を書いてください >>
「死は確実なものとして受け入れながらも、今この瞬間の静かな美しさを噛みしめている」という句意です。