「改札の前や売り子と年惜しむ」の批評
回答者 ヨミビトシラズ
「改札の前や」に強い違和感。
「改札の前」は詠嘆に値するほど句の中で比重は重くないし、この単語そのものもそんなに強い力を持った単語ではない。また、ここで切れを入れる必要性も感じられない。
改札の前の売り子と年惜しむ
これが第一選択。ただ、そもそもの景(=素材)があまりにも素朴すぎて、この状態ではこれ以上改造してもインパクトは望めない。
読み手の心に響く景にするなら……例えば、売り子に焦点を合わせ、
年惜しむ売り子の眼の逞しく
年惜しむ売り子の眼は煌々と
(注:眼→まな)
みたいな。
あるいは、
≫「今年、この食パンが食べられるのは今日が最後なんて寂しいですね」「来年もまた、売りに来ますよ。是非お買い求めください」
ここを使い、
年惜しむ今年最後のパンを買う
年惜しむパンの売り子と長話
でも良いかもしれない。
これは、私の個人的な価値観かもしれませんが……自然の景色を描くにしろ、人の動作や様子を描くにしろ、どこかに「人の心の動き」が感じられると、(少なくとも私は)「味わい深い景だな」と感じます。
点数: 1
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新年、明けましておめでとうございます。旧年中は大変お世話になりました。
本年も、どうぞよろしくお願いいたします。
以前の勤め先で、改札の前にパン屋さんがブースを出して売りに来ていたのですが、
売り子さんとのお話で、「今年、この食パンが食べられるのは今日が最後なんて
寂しいですね」、「来年もまた、売りに来ますよ。是非お買い求めください」と、
会話していたのを思い出して。
読者の皆さんの「それぞれの売り子」、「定期的に何か買っている」に変えて
読解していただければ幸いに存じます。