「山越えて山の向こうの雪催」の批評
回答者 イサク
こんにちは。
先に近い意見が出ていると思います。
基本的なお話です。
季語は「今いる場所の風景」を表すものとして考えてください。観察・観測していることが前提ですので。
たとえば「日本にいてヨーロッパ寒し」とか「東京にいて京都は冬晴れ」とか、見ても感じてもいないのに、実感が湧きにくいですよね?
御句の「山の向こうの雪催」もそれに近く、もしかしたら雲は見えているかもしれませんが、推測の範囲を抜けません。降り始めているとしても見えていないでしょうし。
例外として「列島のすべて炎暑となりにけり」「日本海越えて冬将軍来たる」など、見えていなくても自分を含む場所を大げさに言うことで詩を生むことはできるかもしれませんが、御句はそういう用法ではないと思います。
自分がいる場所でしたら・・・
・山越えてこちらの里の雪催
点数: 3
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いくつもの峠を越えていく旅人の情景です。
この旅人の人生そのものなのかもしれません。
よろしくお願いいたします。