俳句添削道場(投句と批評)

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山越えて山の向こうの雪催

作者 田上南郷  投稿日

コメント(俳句の意味。悩みどころ)

いくつもの峠を越えていく旅人の情景です。
この旅人の人生そのものなのかもしれません。
よろしくお願いいたします。

最新の添削

「山越えて山の向こうの雪催」の批評

回答者 イサク

こんにちは。

先に近い意見が出ていると思います。

基本的なお話です。
季語は「今いる場所の風景」を表すものとして考えてください。観察・観測していることが前提ですので。
たとえば「日本にいてヨーロッパ寒し」とか「東京にいて京都は冬晴れ」とか、見ても感じてもいないのに、実感が湧きにくいですよね?

御句の「山の向こうの雪催」もそれに近く、もしかしたら雲は見えているかもしれませんが、推測の範囲を抜けません。降り始めているとしても見えていないでしょうし。

例外として「列島のすべて炎暑となりにけり」「日本海越えて冬将軍来たる」など、見えていなくても自分を含む場所を大げさに言うことで詩を生むことはできるかもしれませんが、御句はそういう用法ではないと思います。

自分がいる場所でしたら・・・
・山越えてこちらの里の雪催

句の評価:
★★★★★

点数: 3

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「山越えて山の向こうの雪催」の批評

回答者 あらちゃん

句の評価:
★★★★★

田上南郷さんおはようございます。
このままですとコメントにあります峠を越える旅人の句意が伝わらないと思います。
例えば、

山越えて越えて山々雪催

なんてのもありかと思います。
少しばかりイメージに近づいたのではないでしょうか?

点数: 2

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「山越えて山の向こうの雪催」の批評

回答者 晩乃

句の評価:
★★★★★

田上南郷様

お世話になります。お句、深いですね。。次に越えるべき山の向こうの雪催とも、越えてきた山の向こう(つまりもといたところ)の雪催とも捉えられるのが、奥行きを生んでいると感じます。

ただ俳句として季語が活きているかが疑問です。雪催が山の「向こう」にあるということは、作中主人公が捉えたのは雲という視覚情報のみですよね?季語「雪催」の本意に含まれる、冷たく触覚に訴えるような空気感を主人公目線で感じることはありません。つまり、「雪催」でなければならない必然性に乏しく、季節感が薄いと感じました。

少し句意が変わってしまい凝縮ですが、より臨場感を出してみました。

雪催追はるる山の道すがら
雪催歩く他なき山の旅
雪催山路は常に不退転

先日回答を失念しておりましたが、短歌の経験もございません。失礼を承知ですので、お気に召さなかったらお気遣いなくスルーしてください。よろしくお願いいたします。

点数: 2

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「山越えて山の向こうの雪催」の批評

回答者 山口雀々子

句の評価:
★★★★★

お早うございます
《山越えて山の向こうの》
であれば少なくとも二つの山の向こう側とも読めます。
雪催の空が遠過ぎる気が致しました。
普段作者は、現代仮名遣いか歴史的仮名遣いか分かりませんが、
因みに歴史的仮名遣いなら、
「向こう」は「向かふ」(「向かう」とする説もあります)ですね。
感想のみですが、、、

点数: 1

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