「月愛でて甘藷を蒸して十三夜」の批評
回答者 みつかづ
こんにちは。貴句、拝読いたしました。
「生活の中に信仰が息づいている」という点は、非常に良いなと拝察しました。
さて一点、季語「十三夜」は月そのものをも意味する季語でございますので、
季語「月」を重ねますと、ミネラルウォーターに水を混ぜる様なものとなり、
やや冗長に感じられます。十三夜に心惹かれておられるのであれば、
既に月を愛でておられる事は句に内包されていると考えられます。
また、作者コメントより「十三夜」が感動の焦点であると拝察いたしますが、
原句では上五中七の後にやや唐突に置かれている印象を受けました。
甘藷は活かさないと添削ではなく改作になってしまいますので、そのまま用い、
自然に十三夜へと視線を導く添削案を口語体で考えてみました。
私めからの添削案でございます。
・蒸す甘藷盛んな湯気の十三夜
甘藷を蒸し、立ち上る湯気をふと見やると、窓の外には十三夜の
何とも見事な月が出ていた──そんな光景になるかと思います。
唐突感が減り、生活感と祈りの調和が生まれるのではないでしょうか。
以上でございます。お目通しいただき、感謝申し上げます。
点数: 1
添削のお礼として、みつかづさんの俳句の感想を書いてください >>


今夜は十三夜。当地方はきれいに見えました。
十五夜の時も作句したのに投句し損ないました。
十五夜と十三夜、両方お参りするのが正しいそうですね。
十五夜は芋名月。
十三夜は栗、もしくはサツマイモをお供えすると
いう事でしたので、蒸してから干し芋を作ります。