「吾こそただ巣を見継ぎをれ秋の蜂」の批評
回答者 おかえさきこ
おはようございます、前書きを読むとみつかづさんの生物に対する優しさが溢れていますね〜!
ただ、秋の蜂とすると蜂がまだ残っているように読めます、季重なりを避けてのことと思いますが…
「蜂の巣を雨滴つついて秋彼岸」という句もあります、空っぽになった蜂の巣 なら季語の力が弱くなると思います。
少し調べを良くして、
・蜂の巣を見継ぎし吾や秋の朝
としてみましたが いかがでしょうか?
見継ぐ、の古語初めて知りました!
またよろしくお願いします。
点数: 1
添削のお礼として、おかえさきこさんの俳句の感想を書いてください >>


悲しみを詠んでみました。俳句では普通は一人称は使いませんが、
今回は使えるケースかな、と(狩り蜂の巣を見守る人なんて少ないので)
句意:私は(庭のセグロアシナガバチの巣を)ただ見守り続けてきた。
(けど、1頭も居なくなってしまった…)
悲しいと書かずして、私の悲しみが読者に伝われば句としては成功ですかね。
もしくは、自然の営みとしての憐憫のどちらか。
出来事:
昨日の夜、「また明日会おうね」と、巣で休んでいるセグロアシナガバチ達に
声を掛け、今日目覚めて行ってみると…。何と1頭も居ませんでした。
「ま、まさか…」
悪い予感が当たりました。天敵のヒメスズメバチに見付かってしまったのです。
ヒメスズメバチは私を怖れる事無く、誰も居なくなったセグロアシナガバチの巣を
調べ、「もう、ここでは何も収穫無いわね」と飛び去って行きました。
自然の営みとはいえ、梅雨明け後からのふた月弱を過ごした私としては
ショックでした。そのあまり、歯科通院をキャンセルする程。
私としては逃げ延びたセグロアシナガバチの一家、何とか次世代に命を繋いで
欲しいですね。襲った側のヒメスズメバチも。