「雨満つる椿に更に一雫」の批評
回答者 慈雨
再訪失礼します。
なかなか難しい質問を(笑)。私の力で十分なお返事ができるかわかりませんが、あくまで一意見としてお読みください。
〇「落ちそうな椿に雨の一雫」、悪くない句だと思います。
「落ちそうな」が説明的かどうかは微妙なラインですね…個人的にはそこまで気になりませんでした。
〇「『次の瞬間を想像してもらう』ことを期待して俳句を作ること」について。私はアリだと思います。むしろ王道に近いのではないでしょうか。
そもそもなぜ俳句で「一瞬を切り取ること」が推奨されているかといえば、それ以前・以後まで表現するには17音は少なすぎ、句が説明で終わってしまうからだと思います。したがって俳句では「今、この瞬間」を描写し、それ以前・以後については読者が自由に想像するものだと思うのです。
〇「作為」というのはまた別の話かと。
私なりに言うと、特に写生句で「カッコいい表現をしようとするあまり、かえって不自然な描写になっているな」と感じたときに「作為的だな」とか「作為が見えるな」と感じます。
特に擬人化などの比喩やオノマトペが不自然だと、「本当にそんな風に感じたの?珍しい表現を狙っただけじゃないの?」と思ってしまうことが多いです。
もちろん、あらゆる俳句は読者に感動を伝えたくて詠まれているので、必ず「作為」は存在するのですが、それを感じさせないような句が名句なのだろうと思います。
〇最後に、田上様が狙っていたという、「落ちそうな椿」が「雨の一雫」で「ついに落ちてしまった」と読者に想像してもらえるのでは…という点。
句の形としては、十分に想像してもらえると思います。
ただ、私はこういう写生句はリアリティが命だと思っているので、「雨の一滴で椿が落ちる、ということが実際に起こるのか」は気にします。
椿の大きな特徴は、花びら1枚ずつではなく、全体がポロっと落ちるところですよね。どういう風に落ちるかというと、少しずつ傾いてきて、最後は自身の重力を支えきれなくなってもげるような感じだと思います。
それが雨の一雫(葉っぱか何かから垂れたということでしょうか?)によって落ちるということがあるのかどうか…。
実際に落ちるかどうかを気にしなくていいのなら、「落ちそうな椿にさらに雫が落ちた」という一瞬は十分に詩があると思います。いよいよ落ちてしまうのか…とハラハラした作者の気持ちは伝わってきます。
そんなところで回答になっているでしょうか…?
足りないところや間違ったところは他の方がフォローしてくださることでしょう!
長文失礼しました。
点数: 1
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
昨夜来の雨に、今にも落下しそうな椿の情景を読みました。
迷っている点
①「更に」が散文的でくどい感じがします。
さら〜〜と読めません。
②途中で「や」を入れているので、流れが良くない。
「や」を「に」にすると流れは若干改善されるようですが
説明になってしまう。
③椿の情景を読んだので、これは「季語を説明する」
こととは違うと思いますが、その点のご指導をお願いします。