「雛飾り出すをためらふ余寒かな」の批評
回答者 頓
なお様、今晩は!頓です!
早速にて…。
御句の課題、改めて、そのまま引用させて頂きます。
「さて本句、雛飾りと余寒、二つの季語がありますが、雛飾りは出すのをためらっているので大丈夫かなと思いました。でもためらいながら出しているのならアウトですよね。その辺、どうでしょう?」
とのことです、為念ながら…。
この件で、私、自句の「赤蜻蛉」の駄句が紛議を醸したことを思い出した次第です。
「赤蜻蛉は既に去って今はいない」旨の駄句でした。結局、ある方の見解ですが、
「目の前にない季語」は「作者の頭の中にしかない」ということになりがちなので、難しい!
目の前にない季語を詠みつつ季語を生かす、というのは相当難易度が高い!」という見解に落ち着きました。
この見解を御句に照らしてみますと、「目の前にない季語を詠みつつも季語は生かさないので、難易度は極めて低い」、言い換えるならば、季語は生かされていない、若しくは極めて弱い、ということになろうかと思います。したがって、出してしまっては、仰せのとおり「アウト」になろうかと…。
よって、御句は、現在のままであれば、季重なり無しで、課題クリア、になるものと思います…。
それにしても、難解な作句にチャレンジ、頭が下がります!
御句、このままいただきます!
以上、拙い見解にて、失礼仕りますm(_ _)m。
点数: 1
こんにちは。前句「古民家に偲ぶ昭和や春時雨」には、たくさんのコメントおよびご提案句を有難うございました!
皆さんにお礼返信しているつもりですが、届いていない方がおられたらごめんなさい!
古民家の句は勉強になりました。「偲ぶ昭和」はいい感じかなと思って使いましたが、これを言ってしまったら、なんでもこれで通用してしまいますよね。
なんで偲ぶ気持ちになったのか、何をもって昭和と思ったのか、そこを詠まなければダメですよね。
さて本句ですが、先日のいちさんの「雛飾なき雛の日の生家かな」に刺激を受けて浮かんだものです。
雛飾りと余寒、二つの季語がありますが、雛飾りは出すのをためらっているので大丈夫かなと思いました。でもためらいながら出しているのならアウトですよね。その辺、どうでしょう?
その他でも、ご意見ご感想よろしくお願いします!