「吹雪の夜埋もれて見えぬ百度石」の批評
回答者 なお
東野宗孝さん、こんにちは。
御句拝読しました。これはいい題材ですねー。というか、よくこのような光景に思いを馳せましたね。すごいです!
ここで確認したいのは(固い言い方ですみません)、埋もれて見えないのはお百度石ですよね?吹雪の中でお百度参りをする人が見えない、ということではないですよね?
なぜこのようなことを聞くかというと、投稿句と候補句には違いがあるからです。投稿句は石が見えないとのことですが、候補句は人が見えないようになっているからです。
吹雪の中でもお百度参りをするというのは、詩情というよりもはや鬼気迫るものがありますので、私は、石が隠れるほうで考えさせていただきます。
そうなりますと、中七の「埋もれて見えぬ」が、動詞の重なりもあって説明調になっています。
・雪の夜在処(ありか)の知れぬ百度石
・吹雪の夜行方不明の百度石
・吹雪の夜お百度石の姿なく
・百度石も願いも覆う吹雪かな
ごめんなさい、偉そうなことを言った割には提案句が今一つですね。
雪は何でも覆い尽くす、というのもいいのですが、これが埋もれてしまっては困る人がいるだろう、と、その人に心を寄せるのは、いい詠みになると思います。よろしくお願いします。
点数: 2
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いつも、親切で丁寧なアドバイスを頂きありがとうございます。
お百度を踏む人は、藁をも縋る思いで願っていると思います。
そんな、悲壮な気持ちで積まれた百度石も、無情に吹き荒ぶ吹雪によって、埋もれてしまっている。
そんな心情を詠んでみました。
元々、月明かりでやっと見えていたのですが、それも真っ暗になっている。
ただ、見えないのが、暗いのか、雪に埋もれているのか分からないのかもしれません。
どう読まれるのでしょうか?
他に以下の句も詠んでいましたが、どれが良いのか分かりません。
百度石踏む人見えぬ吹雪かな
百度石踏む人隠す吹雪かな
よろしくお願い致します。