「散り残る枯葉を雨の打ちにけり」の批評
回答者 なお
頓さん、こんにちは。
拙句「十二月」にコメント有難うございました。残念なのは十二月だけではなくて、1月生まれの人も言っていましたよ(笑)。特に三が日生まれの人は!
御句拝読しました。寂寥感があり、いい句だと思います。
ただ、道場ですのでちょっとだけお伝えさせていただきます。
俳句では動詞はできるだけ避けたほうがいいと言われています。その理由としては、
・説明/報告調になりやすい
・一瞬でなく時間経過を詠みやすい
・動作主体が、複数出ると視点がぶれやすい
などが挙げられています。
御句の場合、前半の「散り残る」は動詞とまで言えず、状況を表していると言えます。この動作主体(主語)は枯葉です。
次に、後半は「雨の打ちにけり」、これは動作ですね、しかもその主体は雨と、主語が入れ替わっています。
短い十七音の中で主語が入れ替わるのは、良く言えば変化が出る、悪く言えばわかりにくくなると言えます。でも御句の場合、わかりにくくまではなっていません。
私がもし詠むとしましたら、
・散り残る枯葉の雨に打たれけり
にするかもしれないなあと思いました。
こちらのほうがいいとかいうわけではありませんが、置かせていただきます。よろしくお願いします。
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何とか散らずに残っている枯葉に雨が…時を待たずして、落ち葉となるのでしょうが…己の人生を顧みるのでした。