「子は朝の続きを話す芋煮会」の批評
回答者 イサク
おはようございまず。
芋煮会で、鍋の傍で芋煮を作っている親子(子はもう成人~中年)の他愛もない雑談、という風景を受け取りました。
さて、コメントを拝見して、ここから先は「散文」「報告」「説明」「具体性」「韻文」、などなどのバランスとなってくるわけですが・・
少し話が逸れます(あまり鈴蘭様向けの話ではないですが、次の話への展開として)
鈴蘭様の「大王松」にもあったケースと思いますが、一般論まじえて。
俳句に(特に初学の方に)ありがちなことで、自分の思う句意にこだわって、句そのものが推敲で伸びないケースがしばしばあります。句に説明の言葉が増えていったり、「○○と言わなければならない」と自分で自分の句を縛ってしまう例もあります。
作句の練習として「縛り」をするのはありますし(兼題季語や、テーマ詠もこれに当てはまるかも)、作者の「こだわり」そのものは尊重したいですが、推敲の可能性を狭くする「こだわり」は、私は避けたいと思う派です。
で、話は戻って御句。
考えつく範囲で「子」一文字で表せるのは、「子と呼べる年齢の人(個人差ありますが高校生までくらい?)」か、年齢問わず「自分の子」か、その両方か。
御句には後者の「自分の子・親子関係」が暗示されていると思います。年齢は読み取れませんでした。朝の話の【続き】を離すという理論立った行動をしているため、それなりに年齢が高いイメージで読み解きました。
幼児性・小児性にこだわるなら、幼児性・小児性を表す言葉を入れていくかどうか。ただし「説明感」「作為」が目に見えてしまう可能性もあります。そして、前述した通り「そのこだわりは本当に句を良くするのか?」というところもあります。
習作なのでこだわります!という場合はもちろんあると思います。
で、提案句では「子」を残して、練習として幼児性など年齢要素を足してみます。
元句は「具体性」が薄い句だと思いました。ので、「朝の続き」を具体性に変えてみます。
ただし「説明感なく」「作為をできるだけ見せずに」できているのかどうかは難しいところでした。
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点数: 3
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兼題、想像句です。芋煮会に行った家族にこういうワンシーンがありそうだと思って句にしてみました。小さい子を想定していますが、「子」の一文字で足りるでしょうか?ご意見等宜しくお願いいたします。