「朝露や樟の葉群れに揺れてをり」の批評
こんにちは。
コメントありがとうございます💫
銀河の句鑑賞ありがとうございます。あんなにすてきな鑑賞うれしいです。
手から離れたら読ま方は読み手の自由に発想してよい、詠み手がこういう意図で詠んだからその意図で読んでほしいと考えるのはイマイチだと思っています。現に不尽さんの読みでまたひとつこの句がどう捉えられるかが広がったのて、わたしの足りない、、とか言わないでくださいませ。ありがたい読みでした。
阿部筲人の言葉
『「取合せ・配合」を受け取り得る気分が感じられないならば、それは作者の強引さ、即ち失敗作か、読者の鑑賞力不足か、あるいはその双方です』
こういう言葉があります。わたしはわからないと言われたら常に前者、作者の強引さを省みるようにしています。決して君たちにこれがわからんのかな?という傲慢さを持つことのない人になりたいと思います。
また、先人の難しいことば出してきて、なんやねん!そんなんいいからこの句の意味を教えてくれと言わないでくださいね。何も伝わるものがないなら失敗作として推敲精進していきます!
同時に俳句を鑑賞することも想像力をもってした創作であるとわたしは教わってきました。なので、自解すると読み方が一種類になるので説明をしないという意味でした。理屈はいいから、教えてくれーと言わないでくださいね。現に素敵な感想を書いてくださっていて、それに合っている間違っているとかはないと思っています。素敵なコメントありがとうございます。
松下育男さんのXより
https://note.com/brainy_pansy893/n/n6e25425c8237
添削のお礼として、げばげばさんの俳句の感想を書いてください >>
略して、皆様、今晩は!
皆様方のご指導を踏まえつつ、種々諸々、歳時記、電子辞書等を調べ上げ、ジグソーパズルよろしく、再改作に試みました。そろそろ「露」の呪縛からは解き放たれたし!との思いからの再改作です。所詮は、🔰の戯れ句と笑われそうですが…。
なお、電子辞書によりますと、楠、楠木 樟(くす)で、何れもクスの木を表すそうです。この際、樟を採用致しました
兎に角、早朝の樟の葉が煌めく、煌めいていたのは風に揺れる露だった、ただ、それだけの情景ですが、これを五・七・を生業としていた愚生には、なかなかどうして、至難の業であります。
皆様の指導無くば、到底叶わない文芸、それが俳句でした…。
再改作、これまた、厳しくご指導の程、ソコソコに宜しくお願い致します。
有難うございます。。