「濁流のはや眼前にゑのこ草」の批評
鈴蘭様、こんにちは。
拙句「花野に~」へのコメントをありがとうございます。
深く、また多彩に鑑賞してくださって感謝しております。
実か虚かのラインを表現したい思いがあったので、そのように読み取っていただけたことは嬉しいです☆
さて御句拝読しました。
本当にテレビでも辛い映像が続いていますね…。
映像がよく見え、鬼気迫る様子が伝わってきます。
また、激しい濁流と、おそらく大騒ぎであろう現地の人々に対し、何があってもそこに居続けるしかない猫じゃらしとの対比も響いている、とても佳い句だと感じました。
一方、何かが引っかかる…なんだろう…としばらく考えていたのですが、一つだけ。
作句のきっかけはテレビだったかもしれませんが、句としては「眼前に」ですから、現地の被災者の視点に立った一句かと思います。
そうすると、目の前に濁流が迫っているときに猫じゃらしを気にしている余裕があるのかな…と。
もしかしたらその人にとって大切な猫じゃらしで(たとえば子どもがいつも遊んでいたとか)、それが流されそうになっている驚きや悲痛な想いを詠まれたのかもしれませんが…。
的外れな感想でしたらごめんなさい。
印象は変わってしまいますが、映像を淡々と詠んでもいいのかなと思いました。
・濁流の五センチ上のゑのこ草
6cmを5cmにしてしまってすみません。
長文失礼しました。またよろしくお願いいたします。
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
実景を詠むに如かずと実感する日々ですが、これはテレビ中継で見た光景です。句になるかと思いきや大迷走したので、どなたかご意見あればお願い申し上げます。お返事や反応は、数日ほど遅れるかもしれません。
能登豪雨にて、小川くらいの水路がとんでもなく増水して濁流に。橋には枝やらなんやらが引っかかってまるで壁、土手を超えるまであと6センチ。そんな土手の上に、ちんまりと一叢のネコジャラシが生えているのです。おやおやと思ううちにカメラは切り替わりましたので、それ以上のことは残念ながら不明です。