「石蹴れば何れかに中る天の川」の批評
回答者 ちゃあき
ヒッチ俳句さん、こんにちは。
天の川の拙句に温かいコメントを頂きどうもありがとうございました。
特にアンチテーゼとして作った訳ではないのですが、宇宙は偶然に生れたとか死んだら何もなくなるという唯物論に対する反対の思いがでたのかなあ。僕は神仏を信じているので・・・
御句を拝読し、禅問答の無門関の中にある「大力量人」の一節を思い出しました。
その頌(歌)に
足でけかえす太平洋
低く見くだす銀河系
この身一つの置きどころ (意訳 魚返善雄)
とあります。
大力量の人が石を蹴れば天の川銀河のどれかにあたるということも唯物的な自己を超越しているという意味ではありうることでしょうね。好きな句です。
また、「象の子」の句を読んでいて下さったなんてとても嬉しいです。
「腑に落ちた」というのは夏井先生の鑑賞で、僕が腑に落ちたわけではないのです。
以前、お釈迦様の葬列を見送った夢を見たことがあって、夢の中で自分は10歳くらいの子供でした。回りの大人がみんな泣いていたので自分も泣かなきゃいけないのかなと思って泣こうとするのですが中々泣けないので嘘泣きを・・・ 象の子というのはそのときの自分の投影です。この道場でも違う形で出したことがあるのですが、推敲を重ねる内に全く違うものになったので季語手帖に送ってみました。
それではまた、よろしくお願いします。
点数: 1
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お題「天の川」の句がなかなか詠めませんでした。
そろそろお題も変わりそうなので、
取り急ぎの一句です。
よろしくお願いいたします。