「春またね窓いっぱいの万緑よ」の批評
回答者 慈雨
みつかづ様、こんばんは。
連日お忙しそうですね。世間はGWだというのに…お疲れさまです。
お、今回はわかりやすい句を詠まれましたね!(別に皮肉じゃないですよ(笑))
強いて言うなら「窓」が家の窓か、車か、電車か、あるいは職場か、旅先か、というのはコメントを見ないとわかりませんが、それはこのまま読者の想像に任せても良いように思いました。
また、「春」「万緑」の季重なりではありますが、「春」はすでに見送った相手なので、主役は「万緑」として十分季語として生きていると感じました。
教科書的なことを言えば、「万緑」は文字通り「緑がいっぱい」なことを示す季語なので、「いっぱい」は重複感があり、省略できそうです。
ただ御句は話し言葉をそのまま詠んだタイプの句ですし、堅苦しい表現より「いっぱい」という素朴な措辞が生きていると思いました。
ということで前置きが長くなりましたが(笑)、私としてはこのままいただきたいと思います。爽やかで好きな句です。
ではまたお願いします。お体にお気をつけてー!
点数: 1
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※1 本来の句∶「春、またね」窓いっぱいの万緑よ
句意∶(障害者就労移行支援事業に向かう途中の電車の車窓には)見渡す限りの緑、緑、緑!(既に桜の花も散って葉になっている)。
春よ、ありがとう。また来てくれよ。そして、窓の外には広がる万緑!(うつ病患者の私にとって、いつも待ち焦がれていた夏が遂にやってきた。目一杯楽しむぞ!)
※2 お返事は5月9日以降にまとめて致します。