「目に眩し青もみじの清々しさ」の批評
回答者 みつかづ
いがぐりさん。
大変失礼致しました。
「風眩し」と「眩し」の表現の違いと季語の違いを私が誤認しておりました。
又、「清々し」つにいては時候の挨拶として使われているものが季語へと変遷したのかと思いましたが、出展が出せない以上、季語であるとは言い切れない様です。
お詫び申し上げます。
点数: 0
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作者 いがぐり 投稿日
回答者 みつかづ
いがぐりさん。
大変失礼致しました。
「風眩し」と「眩し」の表現の違いと季語の違いを私が誤認しておりました。
又、「清々し」つにいては時候の挨拶として使われているものが季語へと変遷したのかと思いましたが、出展が出せない以上、季語であるとは言い切れない様です。
お詫び申し上げます。
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回答者 イサク
こんにちは。はじめまして。
季語論が大量に出ていて、混乱されているのでは?
まずご本人は、どの言葉を【季語】としているのか?
というのを聞いてみたいです。
私は「青もみじ」だと思うのですが・・・
もみじというのは本来「紅葉」のことですが、「楓」のことをさすこともあるようです。
そして「青もみじ」といえば「楓のまだ紅葉していないもの」を指しているようで、京都のパンフレットによく出てくるようです。だいたいの文章でみなさんそのような意味で使っているようです
この場合難しいところですが「青葉」「青楓」がともに夏の季語ですし、「青もみじ」という言葉はかなり「夏」感を含んでいると言えます。
主な歳時記にはなさそうなので、厳密な季語とは言い難いですが、本人が季語として使っているなら許容できそうな気はします
(厳しい先生は「ダメ」と思いますし、私も初学のうちは歳時記掲載の季語を使うべきと思っています)
一方「清々し」これを記載する歳時記は見当たりませんでした。ネットで「夏の季語」と断定されているケースが多発していますが、伝聞に次ぐ伝聞で根拠が見当たりません。唯一「Weblio辞書」に掲載があるのを見つけましたが、これは歳時記ではなく「日本語表現辞典」からの引用とあり、著者はわかりませんが『俳句の季語』とする根拠には乏しいようです。
また「眩し」については季語としての記述は全く探せませんでした。これはおかえさき様と同じく、引用先をお伺いしたいところです。実際、「眩しい雪」「眩しい夏の海」に季重なり感は感じませんし・・・
ということで「青もみじ」を季語として使ったのかな?というところからコメントです。
◆俳句本来の【五七五】のリズムに、もう少し近づけたいですね
◆季語「青楓」には「清々しい初夏の感じ」というイメージを含んでいると思います。ここは季語「青楓」の映像を信じて、「清々しさ」とわざわざ説明するのを避けたいかなあ・・・と
コメントから「散歩」のイメージを出したい感じで
・いつもより眩しき道の青楓
こんな感じでいかがでしょうか。「眩しき道」「青楓」で、清々しさは十分に感じられると思いますが・・・
またよろしくお願いします
点数: 6
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回答者 おかえさき
こんにちは、横から失礼いたします🙇
先のお二人のコメントで、「眩し」「清々し」が季語とされていらっしゃいますが…私の角川歳時記(春は第五版、夏は第四版)には載っていません、ただネットを調べたら、「すがすがしい」が夏の季語とありました。
ここの先輩もおっしゃっていましたが、あくまでもネットは参考程度にとの事、歳時記も色々ありますのでどこかの結社関係の歳時記でしょうか?
「青楓」は夏の季語ですので青もみじとだぶってきそうです。
素朴な疑問ですがお願いします。
点数: 3
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回答者 めい
いがぐりさま。こんにちは。
御句拝読いたしました。
清々しいが、季語ですね。
実は眩しも季語なのです。季重なりということになります。
それで季語をひとつにしてみました。
▪清々し青き紅葉や風きよら
🙇
指摘事項: 季重なり
点数: 1
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回答者 竜虎
いがぐり様 こんにちは
初めましてよろしくお願いいたします。
そろそろ青葉にしげる季節ですね。風もさわやかです。
季語について私の歳時記には清々しと青もじみは載っていませんでした。
最近はネットに季語が載っていますが、どこかの句会などに投句される場合は先生のよってはダメと言われることがあります。
やはり始めは面倒でも歳時記で季語を調べる習慣を持った方が良いと思います。
歳時記は季語を知るだけでなく、例句も載っており先人の俳句を鑑賞することもできます。それに歳時記は楽しい読み物だと思います。
いがぐり様の見た風景を提案してみます。
新緑の小路は何処も風の中
新緑(夏の季語)まだ春ですが、先取しました。
上手くありませんが、よろしくお願いいたします。
点数: 1
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回答者 みつかづ
初めまして。こんばんは。貴句、拝読しました。
めいさんが指摘なさった季重なりについて、更に深掘り致します。
眩し:三春(春の初め頃から終わり頃まで)
清々し:初夏(夏の初め頃)
ですが、この2つは季語の中でも感情的な意味を含んでいますので、例えば晴れている日の朝だとしますと、年間を通じて眩しかったり、清々しかったりします。
ですので、このタイプの季重なり(その中でも四季が違うものを特に「季違い」と分類する事もあります)は「作者は一体どちらの季節感でお詠みだろう?」と読者は迷う訳です。
又、季語を集めた本を「歳時記」と言いますが、「青もみじ」は載っていないと思われますが、「青楓」は初夏の季語として載せられています。
もみじ、楓は少し意味合いは変わるものの、大意は「カエデ科の樹木」を指す言葉です。
となりますと、「青もみじ」。この表現で季語になるのか微妙な所で、読者は「きっと初夏だろう」と想像できますが、作者コメントを見るともう1度混乱に陥ります。
と申しますのは、「いつものお散歩道の青もみじが新緑で目に眩しくて、空気が清々しく感じた様を読みたかったです。」
「この句を作者が今日(本日、2024年4月11日木曜日現在)詠まれたのだとすると季節は晩春(春の終わり頃)だけど、「新緑」は初夏の季語として歳時記に載っている。作者は想像でお詠みなのか、それとも今日見られた光景をお詠みなのか(三春の季語があるので)、一体どう受け取れば良いのだろう? 又、そのまま「青紅葉」だとすると、夏の初めとは限らない。一体夏のいつ頃だろうか?」となる訳です。
季重なり・季違いが必ずしも悪い訳ではありませんが、「高度な技法なので失敗し易い」という事は押さえていただければと思います。
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回答者 竜虎
いがぐり様
再訪です。
先ほどの句
新緑や小径はどこも風の中
上五を切った方がよいかもしれません。
よろしくお願いいたします。
点数: 0
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回答者 めい
いがぐり様。季重なりの件。私が、間違っておりました。
私のコメント、提案句は、白紙に戻して、全てお忘れ下さいますよう、お願い申し上げます。
ご迷惑をおかけして、本当に申しわけございませんでした。
点数: 0
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
いつものお散歩道の青もみじが新緑で目に眩しくて、空気が清々しく感じた様を読みたかったです。初心者です